タムルアン洞窟遭難事故についての概略と映画「13人の命」については既に書きました。
今回はNetflixのドラマシリーズ「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」(原題 “Thai Cave Rescue” )を取り上げます。題材となっているのは実際にあった、タムルアン洞窟の遭難事故です。“ティーン向けTVヒューマンドラマ” “家族で一緒に楽しめるドラマ” との説明があります。「13人の命」とはターゲットと表現したいものが異なるようです。
遭難した少年たちにも焦点を当てている
映画「13人の命」はレスキュー側の苦闘の日々に焦点を当てていますが、ドラマ「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」は遭難した少年たちの物語にも時間を割いています。
同じサッカーチームに所属していても、お金持ちの子もいれば貧しい家の子もいる、国籍のない子もいる、家族仲のよい家庭の子もいれば両親が不仲な子もいる、年齢にもバラつきがあり、サッカー以外の趣味もそれぞれ違う、そんなグラデーションを見せるところからドラマは始まります。
実話が基になっているので、ストーリーの大筋は同じです。遭難事故自体の出発点は「チームのひとりの誕生日で夜にパーティーが予定されていた ⇒ その前にタムルアン洞窟へ遊びに行くのがアシスタントコーチを含めて13人 ⇒ ひとりは洞窟へ行かずに帰宅する」です。
救出に協力する専門家の顔ぶれが若干異なります。また遭難後の子を思う親たち、家に帰りたい少年たちの関係性についても「13人の命」にはないシーンが含まれています。本当にそういうことがあったのか、事実に着想を得たフィクションなのかは分かりません。
遭難への対処にみるタイの人たちの信心深さ
本ドラマでは、タムルアン洞窟が “眠れる王女の洞窟” と言われる所以についての解説が丁寧です。映画「13人の命」はどちらかと言うと “現実がどうであったか” に重きを置いていて、イギリスから来たレスキューダイバーのひとりが苛立ちながら「祈って何になるんだ。現実を考えて対処しろ」と言うシーンが象徴的です。タイの人たちの祈りと信心深さが描かれつつも、抑え気味の描写になっていました。
祈っているだけで少年たちが助かることはあり得ませんが、自分に何ができるわけでないときには祈るほかないのも事実であり、それがほかの無意味な行為(息子の身を案じて周囲に食って掛かる等、ストレスと混乱を増幅させるもの)を抑えるのであれば、むしろ好ましい対処と思います。
本ドラマ「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」では、少年たちとともに遭難したアシスタントコーチの生い立ちも語られます。幼い頃に両親と弟を亡くし、僧院で孤児の少年僧として育ったことなど。彼はミャンマーの人(無国籍)だったようですが、タイも孤児は少なくないです。私も何人か知っているくらいです。日本で “孤児” と聞くと戦後間もない頃を想像しますが、タイにおいては遠い昔の話ではありません。
「13人の命」では、少年たちは入口から2500mにある岩の上にいるところを発見され、それまでの彼らがどのように事態に対処していたかは明らかにされません。一方で発見されるに至るまで、アシスタントコーチをはじめ、少年たちも身を挺して試行錯誤する様子が「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」では描かれます。「家に帰りたい」「もう死ぬんだ」等、泣いたり叫んだりする少年たちに対し、自分のこれまでの人生の苦しみや悲しみを説いて聞かせ、瞑想を指導したアシスタントコーチ。彼にとっては恵まれなかった生い立ちも、少年たちの生存を助けることにつながりました。
アメリカ空軍の支援とタイ海軍特殊部隊の活躍
映画「13人の命」は、イギリス人ダイバー2人(+3人)の活躍に重きを置いたストーリーとなっていました。一方ドラマ「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」では、アメリカ空軍の支援とタイ海軍特殊部隊の活躍にスポットライトが当たります。米軍は作戦遂行に際し、リーダーシップを執っています。
少年たちを遭難から救出する動きは多面的に展開されており、何から何まで網羅した総花的な描写では、逆に何も伝えられなくなる恐れがあります。
「13人の命」は卓越した経験と技術をもつダイバーたちの記録のテイストが強く、「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」はそれ以外の支援者たちをメインに、となっている感じです。ドラマは洞窟の中だけでなく、いろんなところで展開しており、6回のエピソードでそれらを取り上げたのが「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」。斜に構えた見方をすると、イギリス人ダイバー2名ばかりが持ち上げられたのでは、それぞれの立場で尽力したタイ海軍やアメリカ空軍の立つ瀬がないので、改めてドラマ化することで功績に対する感謝を示し、適切な社会的評価をもたらそうとしたのかなと。
「13人の命」に出てくる主要ダイバーのなかでも、本ドラマではオーストラリア人で麻酔科医のハリーと、そのバディの獣医クレイグが重要人物です。イギリス人ふたりに「13人の命」ほどの重鎮感はありません。そしてカナダ、キプロス、アメリカ、デンマーク、南アフリカのダイバーが名前入りで紹介されています。
6エピソードからなるドラマなので、洞窟内の水位を下げるための土木的なアプローチについても「13人の命」より詳しく、それぞれの立場からの苦悩が、より多面的に理解できるように描かれています。
映画「13人の命」では、遭難した少年たちに対してダイビングの練習を行う描写はありません。片や「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」では、タイ海軍特殊部隊が水の中で指導にあたります。当初は当人たちに潜水させて救出するプランもあったようです。その後、タイ海軍特殊部隊OBサマン・グナンが潜水によって死亡。それをきっかけに少年たちを荷物のように運ぶ作戦へ転換したように、ドラマでは描かれています。「13人の命」では、その経緯は端折られています。個人的には、洞窟内で少年たちにダイビングの練習をさせる猶予(時間、人員)があったのかしら?と思います。オーストラリアから呼ばれた麻酔科医でダイバーでもあるハリーは、クレイグを伴ってチェンライ入りしますが、映画「13人の命」にクレイグの登場はありません。
一回の救出に当初5時間かかったところを2時間にまで短縮することに成功。しかし嵐に打ち勝つには今後の救出を90分で行わなければならないとされました。記録的な大雨を伴う嵐による増水で、少年たちが残された空間が水没することが予想され、危機感は高まっていました。
“FOR BEAM 1996-2022” とは
本ドラマの最後のテロップに “FOR BEAM 1996-2022” と出てきます。
コーチのエイク役パパンコーン・ラークチャレアムポートが “BEAM” です。2022年3月23日、連絡が付かず、母親がバンコクの自宅コンドミニアムで息子を発見しました。心不全(睡眠中の突然死)とのことです。25歳でした。若すぎますね。
彼はタイのサスペンスドラマ「BEDTIME WISHES」や「ロスト・イン・ウォーター 神秘の島」などに出演していて、Netflixで視聴できます。
ドラマのエンディングは、作中で役を演じた少年と当人(だと思いますが…)の両方が登場します。コーチ役のパパンコーンはイケメンで、当人(本物のアシスタントコーチ)はもっと庶民的な顔立ちです。
3つの作品に対するレビュー
「THE CAVE ザ・ケイブ レスキューダイバー決死の18日間」⇒ 私は視聴していません。レビューに多く見られたのは「こんな大きな事件に発展して、当事者のサッカー少年たちはどう思っていたのでしょうか。それを聞きたかったです」というコメント。「君たち、反省してるのかね?」というニュアンスを感じました。
「13人の命」⇒ 視聴しました。レビューは「THE CAVE ザ・ケイブ レスキューダイバー決死の18日間」と打って変わり、「少年たちを助けたい一心の人々が集まれば、こんなにもすごいことを成し遂げられるんですね。感動しました」というコメントが多いのが特徴。私自身は、熟達したエキスパートの情に流されない判断力と遂行力に対して格別の素晴らしさを感じました。
「ケイブ・レスキュー: タイ洞窟必死の救出」(本作)⇒ 視聴しました。「13人の命」の後に観ると「へえ、そうだったの」と情報が補完される部分が多々あります。焦点を当てているところが異なるので、「13人の命」で理解していたストーリーと本作のどちらが正しいのだろう?と思う点もあります。「13人の命」のほうが実際の記録に忠実な面もありそうです。本作は、遭難事故を取り上げた、いくつかの作品が取りこぼしてきた要素を入れ込んでいるのではないかと思います。少年それぞれの個性、各家庭の特徴と保護者たちの対応の違い、洞窟内での少年たちの過ごし方など。“ティーン向けTVヒューマンドラマ” “家族で一緒に楽しめるドラマ” と謳っている通り、親への感謝や友人・仲間のありがたさといった感情を呼び起こします。それぞれの視点で感動がもたらされるドラマだと思います。
追記
「2018年にタイ北部で水没した洞窟の中に3週間近く閉じ込められ、世界中が見守る中で救出された少年12人のうちの1人、ドゥアンペット・プロムテープさん(17)が英国で死亡した。英国とタイの当局が15日に発表した。ドゥアンペットさんは英イングランドのレスターシャーにサッカー留学していたが、地元警察によると12日に病院に救急搬送された後に死亡した」(ロンドンCNN/2023.02.16 Thu posted at 11:54 JST)
事故死ですが事件性はないとされています。ドラマで彼は “DOM(ドーム)” と呼ばれていました。
映画「エベレスト3D」について私が書いた記事の一部です。
1996年のエベレスト大量遭難事故で助かっているガイドのアナトリ・ブクレーエフ、シェルパ頭のロブサン・ザンブーは、その時点のその事実だけをとると運が良かったように見えます。
しかしアナトリ・ブクレーエフはその1年後の1997年冬のアンナプルナで、ロブサン・ザンブーは1年も経たない1996年秋のエベレストで、どちらも雪崩により死んでいます。
ツキがある、ツキがないというのは、ある程度人間が勝手を知っていて、コントロールできる環境の平常時において通用する、極めて “人間的” かつ “点(局所)的” なモノの見方とも言えます。
巨視的に見るとあまり意味をもたないことに「これは運がいい(ツキがある)」「これは運が悪い(ツキがない)」とラベル貼りをしているのが私達なのかもしれません。
「選択なき死への道~ツキのある/なし」より
私は死に関しては運命論者。死を人間がコントロールすることはできないと思っています。
ドゥアンペットさんは、天から与えられた命をまっとうされたのだろうと思います。