私はNetflixのドラマ「ナルコス」が大好き。繰り返し観ていてテーマソングが流れると「蹴ってまおか~、ディエンモー」と、似非スペイン語で口ずさんでしまうくらい好きです。「ナルコス」とは「麻薬ビジネスで生きる人たち」を意味します。
実話に基づくコロンビアの麻薬カルテルのドラマで、実在した麻薬王パブロ・エスコバルを中心としたストーリーがシーズン1と2。同じコロンビアでも、カリのカルテルを取り上げたのがシーズン3。
麻薬カルテルものが好きですが、なかでも「ナルコス」はほぼ実話で、登場人物たちも実在というところが大きなポイント。イントロにエスコバルたちと戦ったDEA(アメリカ麻薬捜査局)の主要メンバー、スティーブ・マーフィーとハビエル・ペーニャの写真も出てきます(ドラマ内のスティーブ・マーフィーとハビエル・ペーニャと結構似ています)。当時のコロンビアでの麻薬カルテル、密売人たちとの戦いの記録も「実際の写真や映像」がいろいろと出てきます。たくさんの人たちが死体となってゴロゴロ転がっている光景、軍の特捜隊と麻薬カルテルの銃撃戦の様子などには驚きます。日本で暮らす者からしたら、次元の違う別世界です。
麻薬王パブロ・エスコバルは、1989年にフォーチュン誌によって「世界で7番目に裕福な人」に選ばれたほどの大金持ち。資金力をものを言わせて政治家になり、800以上の邸宅をもち、私設動物園や飛行機、島も所有していました。ナイトクラブ、サウナ、サッカー場などのある、自分のための特別な刑務所を政府と取引して作らせることもしました。エスコバルの命令で殺された人は3000人以上と言われ、財力も犯罪力も桁違いのスケールです。そんなエスコバルも最期はサンダル履き、護衛はたったのひとりというわびしさ。「栄枯盛衰」という四文字熟語、「驕れるものは久しからず」という諺をついつい思い出してしまいます。
さて「ナルコス」とは無関係の余談です。私は麻薬カルテルもののドラマ以外にも、機械など、いろんなものをバラしたり組み立てたりするのが好きでして、衝動に勝てず、最近自分で作ったハーバリウムの中身を若干取り出して調整してしまいました。ちょっとばかりご満悦なので載せておきます。
さて話を戻しまして、人間には地上に生まれた者としての「地の仕事」があり、そこに「天の仕事」の要素が加わることで、人生がより統合され成就していくと私は考えています。まずは「地の仕事」があり、それが「天の仕事」とリンクするようになり、両方をまっとうすることが、この世に生を受けた意味だと思うのです。
ドラマ「ナルコス」で描かれている人たちは「地の仕事」に偏っているように見えます。麻薬、お金、権力、セックス、暴力、家族などが、自分の選択や行動の原動力になっているカルテルや密売人たち。それぞれが個性的で、とても人間くさいです。「地の仕事」には人間くささが伴います。
そんな彼らの横暴に翻弄されるコロンビアの市民たちも、ドラマを見る限りでは「地」を感じこそすれ「天」の要素は希薄。「ナルコス」も「普通の人たち」も、徹頭徹尾「地」に生きる人たちなのです。
しかし「地」におけるエロ・グロ、美しさ、醜さ、清らかさ、腐敗臭、生きること&得ることに貪欲な姿など「味噌も糞も一緒」とばかりに “肉体” と “物質” とを至上に置く「ナルコス」の世界観が、ドラマ(実話)として大変面白いわけです。行ったことはないけれど、風景、歌や踊り、空気感など、南米はとても惹かれる場所です。
当時のコロンビアは汚職にまみれていて、警察官や政治家も、カルテルの人たちやマフィアに買収されていました。カルテルやマフィアの息のかかった山ほどの人たちが幅を利かせるなかで、掃き溜めの鶴のような人もいて、そういう人たちの勇気と高潔さと決断があって、山あり谷ありの後に事態が収束に向かいます。
すなわち混沌とした「地の仕事(生き方)」があるからこそ「天の仕事(生き方)」が生まれてくる、という仕組みがあります。「天の仕事」は「地の仕事」を通して表れます。「天の仕事」とは、日本ならば神主とか巫女とか、神事に携わるような一般的でない職業をイメージするかもしれません。しかしそうではなくて、どんな人においても、地上の当たり前のコトを通路として神の要素や神性が出現します。
この写真。近所の公園の桜の幹です。花のつぼみが出てきています。「桜の木が四季により、その姿を変えていく=地の仕事」、「桜の木に花を咲かせる命の仕組み=天の仕事」です。
なお、私はスティーブ・マーフィー役のボイド・ホルブルックが結構好き。かっこいいと思うのですが、不思議にチープな味わいがあります。映画「ゴーン・ガール」では、コテージでゴルフか何かやって遊んでいる、ろくでなしの男を演じていました。