人生のどの時期に観るかで評価が分かれそうードキュメンタリー映画「行き止まりの世界に生まれて」

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2018年サンダンス映画祭でプレミア上映され、ブレイクスルー映画製作米国ドキュメンタリー部門特別審査員賞を獲得するなど、大絶賛されたドキュメンタリー映画です。2019年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー(長編)部門にノミネートされたものの対抗馬の「フリー・ソロ」が受賞。本作「行き止まりの世界に生まれて」は素晴らしい作品ですが、今の自分が審査員だったら、やはり「フリー・ソロ」に一票を投じます。

原題は “Minding the Gap”。原題のほうが、邦題よりいいと思います。

イリノイ州ロックフォード。イリノイ州の底辺の街として知られています。スケートボードにのめり込み、その縁でつながっている3人の若者が出てきます。キアー(黒人)、ザック(白人)、ビン(黄色人種)。ビンが撮影と監督を担当。彼らが10代半ば前後の少年だった頃から、青年に至るまでの映像&取材記録を編集したドキュメンタリー映画です。

アメリカ貧困層の家庭生活、教育環境、家族関係。成長してからの仕事、家庭、人間関係におけるハードルや現状などが綴られます。大絶賛、大共感の嵐を巻き起こした作品のようですが、私は現在、この手の作品の登場人物に共感することがほとんどありません(15年ぐらい前までだったら共感したかも)。しかし素晴らしい作品のひとつであることには違いなく、感想や思うところはありますので、それを書きます。

映画の内容

登場する主要人物は3人で、次の通りです。

  • キアー(Keire Johnson)…黒人。両親は別居。父(故人)は彼に厳しかった。「父さんと住んでたけれど、毎週末、仕事を手伝わせるんだ。スケボーがしたかった。父さんは頭ごなしに “親の言うことを聞け”。翌日家を出た。父さんへの最後の言葉は『大嫌いだ』」。映画の終わりにはデンバーへ移って就職。スケボーのスポンサーも付いた
  • ザック(Zack Mulligan)…白人で、父が21歳のときの子ども。2歳のとき、生みの母は父の元を去る。継母がいる。恋人ニナとの間に息子エリオットが生まれるが、育児や家計等を巡って不仲となり、映画の後半では別の女性と暮らしている。屋根職人。「親が口うるさかったから家出を繰り返し、16歳の時にはまったく帰らなくなっていた」
  • ビン(Bing Liu)…アジア人。継父デニス(故人)は妻や子どもに対して暴力を振るっていた。死んだ父に複雑な思いを抱くキアーに自分自身を投影して撮影を続けていた

スケートボードは彼らの生命線、あるいは拠り所で、少年の頃から夢中になって興じることで、お互いを支えてきました。

スケボー仲間が家族だった。家族のように俺たちを気に掛けてくれる人がほかにいなかったからだ

ザック&キアー

それは居場所のなかった彼らに、生きるスペースを作り出し、ひとときの自由と安らぎをもたらしていました。

ある意味、ドラッグだ。精神的にギリギリまで追い詰められても、スケボーさえできればそれだけでいい。でもドラッグが切れると現実に逆戻り

キアー

スケートボードに魅入られた人にとっては、それが人生を導くものとなるようです。

スケボーは単なるスタイルや仲間作りの手段じゃない。これがあれば抜け出せる。生きられる

エリック(スケートショップ オーナー)

キアーは将来のために貯めていたお金を兄に盗まれます。兄は服役した経験もあり、悪びれません。かつて父と暮らしていたキアーは、父に厳しくしつけられることで犯罪者の一線を超えずに済んでいること、それは愛されていたからだと気付きます。「大嫌いだ」と言って別れたのが最後となった父の墓を探し、向き合って涙します。何かが溶けていくようです。「この町にいると蝕まれていく」とデンバーに移り、自活を始めます。

ザックは父になったことをきっかけに、大人になろうと努力したようです。振り返って語ります。「自分と向き合ってこなかった。自分のことを善人だと思いたいけれど、ピエロのように思える。メイクをして演じて見せてたら、見せかけの自分になっていた。認めたくないんだ。人生が苦しいのは俺が最低だからなんて。だから酒を飲む。消えてしまいたい。息子には俺のようになるなと言いたい。このクソみたいな人生を選んできたのは俺なんだ。逃げ道はない」。映画の終わりには屋根職人の責任者となっていて、現在のパートナーと暮らしつつ、ニナに息子の養育費を支払っています。

ビンは、キアーやザックの人生を通して自らのそれを眺めます。暴力的であったにも関わらず、継父から離れることができなかった母へのインタビューを通して、自身の過去と折り合いをつけていきます。

みんなが「前へ進む」ことを望んでいました。

映画の感想

素晴らしいドキュメンタリー映画だと思いました。ただし先にも書いた通り、共感度は低いです。

キアーについて

私自身、非常に厳しく育てられたので、15年ぐらい前までだったら彼に共感したと思います。私の母親は母性に欠けており、子どもの虐待を “しつけ” と考えていました。あまりに厳しかったため、母の死後も「申し訳ない娘であったこと」への罪悪感がぬぐえず、熱心に墓参りをしたり、こういう場合に母だったらどう言うだろうかと考えたりしたものです。

私なりに過去との折り合いをつけるプロセスで「母に対して何も悪いことはしていなかった」ことに気付き、そこから人生が変わりました。

キアー君、もう少しです。最後のほうで「父親を最も愛している」と言っていましたが、それは多分錯覚です。“愛せる感覚” を覚える対象を、家族のなかにようやく見つけただけです。前へ進んでください。

ザックについて

高校中退の彼は、高校卒業認定試験を受けるなど、子どもが生まれたことをきっかけに、責任を負える大人の自分へ変わろうとする様子が伺えました。かつての緩い顔つきに締まりが出てきていて、よい年の重ね方をしている感じがしました。

しかし “うっとり酔いしれ系” に見えます。酒場で酔いしれて、情けない己の姿を開示しつつ、かっこよい物言いへと仕上げている人みたいです。

「自分の選択によって、こういう人生になっている」ということが本当に腹落ちしたら、さらに “いい男” になっていくのでは。

ビンについて

彼が自身の撮影用機材を保有できていたとしたら、継父の行動に問題があっても、経済的には問題の少ない家庭の育ちだったのかなあと思います(母親とのやりとりでは、継父はまともに働いていなかったようですが)。

卒業写真も賢そうな顔つきで写っていましたし、スケボー仲間の間でも、少し毛色の違う少年だったのではないでしょうか。

継父に対する消化できない思いへの対処として記録動画を撮り続けたようですが、その出発点と年月の積み重ねが、この作品を厚みのあるものに押し上げたように感じます。今後の作品がどうであるかが勝負です。

彼の母は再々婚したそうです。アメリカの人は、大袈裟に言うと死ぬまでパートナーを求めますよね。非婚の進む日本と異なります。いくつになっても男女(あるいは同性間)の “愛” を求め、信じるところがすごいと思います。家族間でも、やたら “I love you.” と口にしますが、私の思う “愛” とは性質が異なるのかもしれません。日常的に “I love you.” など言えませんわ。心から言えることなど生涯一度もないかも。私にとって “愛” とは、それくらい深い意味、重みをもち、嘘偽りが許されない言葉という位置づけにあります。

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