人間が賢くなるのは難しいことを示す映画「残酷で異常」

スポンサーリンク

1時間31分、コンパクトな作品です。筋書きも道理に適っています。視聴後は制作者の意図、どの程度の深いメッセージを残したかったのかについて、少々疑問が残ります。原題は “Cruel & Unusual” 。

“現実に起きたと思われる体験“ と “謎の施設での体験” が順繰りにやってきます。どちらがリアリティなのかは不明ですが、便宜的に、主人公の妻や義理の息子、兄などが登場するほうを【現実編】とします。主人公がグループディスカッションに加わるよう言われる施設での体験を【施設編】とします。

【周回の一巡目:現実編】

  • バスルームで妻メイロンに救命措置を行うエドガー。妻は多分死んだのでしょう。力尽きてエドガーも床に横たわります。
  • 場面は変わって運転するエドガー。妻を同伴したパーティーの帰り道のようです。彼は急停車し、大きな木のある方向へと向かいます。どうしたのかと問う妻に「分からない。変な夢を。いや夢じゃない。家でひどいことが。でも思い出せない」と答えます。夫の様子がおかしいので運転交替を申し出る妻に、パーティーでの出来事を問いただすエドガー。彼は自分に自信がなく、嫉妬深いのかもしれません。
  • 再び車内。メイロンの連れ子ゴーガンについて、ふたりは話をします。彼は問題を抱えた少年なのかもしれません。夫妻が家に着いたとき、息子は家にいませんでした。
  • エドガーは芝刈りをしようとしますが機械が不調、メイロンの作ったメヌード(フィリピン料理)を食べます。息子が帰宅しないことを妻は心配。そのときエドガーの兄ランスが訪問してきます。兄弟の会話からは、エドガーが兄に対し、よい感情を抱いていない様子が窺えます。
  • 潰瘍が痛みだしたエドガーはリビングを後にします。リビングのドアを開けると、そこは謎の施設でした。部屋番号は「7375」です。彼の右腕の内側には謎の刻印 “UXOR” がありました。

エドガーは自分がどこにいるのかが分からず、混乱していくつのもドアを開け、妻を探します。そして自身の体験を語り合うグループディスカッションの部屋へと入っていきます。置かれているテレビの画面の向こうにファシリテーターのような人物がいます。ファシリテーターに見えても、参加者の好ましくないふるまいに対して懲罰を与える点が異なります(しかし便宜上「ファシリテーター」と呼ぶことにします)。

【周回の一巡目:施設編】

  • ここはどこで、自分はなぜここにいるのかを問うエドガー。
  • 両親殺しの体験を語るウイリアム。次にエドガーが指名されますが、ここに来た理由が分からないと語ります。ファシリテーターは「7734」の部屋へ行くよう指示します。
  • 「7734」の部屋に入ると、そこにもテレビがあり、中の男性が話しかけます。男性は “UXOR” がエドガーの残虐さを示す記号であること、彼が妻を殺害したことを指摘します。
  • エドガーには妻殺しの自覚がありません。男性は「今は記憶が弱いが、いずれグループのことも、罪も思い出すようになる」と言います。そして「君も同じ日に死んだ。何も特別なことではない」と付け加えます。
  • 聞かされたことに憤慨しながらドアを出ると、そこは今退室したはずの「7734」で、テレビの中には同じ男性がいました。「妻を愛している。彼女に手を上げたことなどない。傷つけるはずがない」とエドガーは繰り返します。
  • 「7734」の天井には、どこかへ通じていそうな出入口がありましたが、男性に「関係ない。君は準備できていない」と言われます。エドガーはそこから脱出しようとしますが失敗に終わります。
  • 男性は「受け入れられれば、また気持ちも変わる」と言います。「家に帰りたい」と訴えるエドガーに「あのドアから戻れ」と男性。ドアを開けるとそこは自宅のベッドルームでした。

「現実編 ⇒ 施設編 ⇒ 現実編 ⇒ 施設編 ⇒ …」とグルグル周回するうちに、エドガーの記憶が精緻なものになっていきます。妻・義理の息子・実の兄、それぞれとの間であったこと、それに対し自分が感じたこと/したこと。

エドガーは施設のグループディスカッションで出会った数名との距離を縮めます。ドリスは1972年に自殺し、施設とドアの向こうを行き来するのが、自分にとっての世界のすべてだと言います。施設に収容されている人たちの話によれば、そのグルグルは永遠に続いていくもののようです。

「7734」の天井に見つけた出入口から施設を脱出しようと、エドガーはジュリアンやウイリアム、ドリスを誘います。しかし、みんな乗り気ではありません。「ここから出られたとしても、罪からは逃げられない」と。しかしドリスが逃げるチャンスを作り、エドガーとジュリアンは「7734」へ向かいます。にも関わらず、脱出したのはエドガーだけでした。

そして【現実編】への脱出に成功したはずが、扉を開ければ再び「7375」の【施設編】。しかし戻ってからのエドガーが、グループディスカッションで話す内容は変化していました。「準備ができたようね」とファシリテーター。「やっと分かっただろう。安心感だ。自分の罪を認めたから罰も受け入れられる」とウイリアム。“痛み ⇒ 受け入れの安心感” を繰り返すのが、この謎の施設の趣旨なのでしょうか。

脱出から戻ったエドガーは【現実編】を変えることに対して意識が向かうようになり、ドリスを連れて【現実編】へと移行します。今までの周回の輪からは外れたようで、運命を書き換えられる可能性が感じられます。

そしてエドガーが自殺することで、筋書きを変えることに成功(妻とドリスは死を免れ、エドガーは彼らの心に善き存在として生き続ける)。エドガーは【施設編】に出戻りますが、誇らしげな表情で体験を語り、グループディスカッションの先達として新入りを迎えます。

さて、この映画は何を言いたかったのでしょうか。①人間は愛に生きて誇れる死に方をすべきだ、②人間は成長しない限り、新たな機会を得ても同じ失敗を繰り返す、これら辺りが候補として浮かび上がります。実にシンプルなメッセージです。

しかし筋書きを変えることに成功し、自尊心を高めたにも関わらず、エドガーは相変わらず【施設編】の同じグループディスカッションの集団に属しています。そこでの見事なドヤ顔は、自己評価の高まりやステージの若干の上昇があったとしても、大きな全体から見れば相対的に低いレベルであることを示しています。多少賢くなったのかもしれないけれど、依然として愚かしい人物であることに変わりはありません。同じグループディスカッションの輪を卒業していないのであれば、大して成長していないと思います(彼の変化が大きければ、関わるメンツも変わるはず)。

「言いたいことは分かるけれど、浅すぎじゃないですか」というのが感想。西洋人には、また別の視点があるでしょうから、機会があれば考察を聴きたいです。これくらいの深さでは私は満足しないというだけで、制作費もそれほどかかっていないと思いますし、それを前提に考えて駄作とまでは言いません。本当に駄作だったら(最近だと「善き生徒たち」とか)、わざわざ記事に書きません。

旅行は人生の大きな喜び(^^)v
ランキングに参加しています。
応援をお願いいたします。
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村