人生は“自分”に出会うようにできている-ドラマ「私のトナカイちゃん」

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原題は “Baby Reindee”。脚本と主演を担当したリチャード・ガッドの体験に基づいており、非常に優れた作品です。

本作は、いろんな視点からの視聴が可能です。①性暴力サバイバーや性的マイノリティの苦悩や生きづらさには複雑な要素が絡み合っている、②トラウマや心理的欠乏感が対人関係のパターンを決める、③他者が外側から見て羨んだり蔑んだりしたとしても人生の道筋が “その人の強さと弱さ” からできている点は同じ、そんなことを私は感じました。

タイトルにも書いたように、人生は “自分” に出会うようにできている、あるいは “自分” に気付くように仕組まれているというのが、このドラマのエッセンスだと思います。性暴力サバイバーの人たち、ストーカー被害に遭っている人たちに向けて自分の体験をさらけ出すことにより、彼らの視界を多少なりともクリアにしようとしているようにも感じられます。実話に基づいている、脚本を書いているのが当事者自身、演じているのも本人なので、単なる出来事を描写していても複雑な心理や病理が細部まで伝わってくるのが特徴です。

人間は複雑な思考や感情のパターンをもっていて、よくわからない(ときに理解不能な)生き物なのだけれど、大元を辿れば心に抱えた傷や欠乏感が各人各様の反応や行動を決めている、ということが理屈ではなく了解的にわかってしまうところが秀逸です。“各30分前後×7エピソード” とコンパクトですし、見て損はありません。

あらすじ

売れないコメディアンのドニー・ダンはロンドンのパブで働いています。ある日やってきた女性客のマーサは見た目の印象も、話す内容も奇妙でした。ドニーは「お金をもっていない」という自称有能弁護士の彼女に哀れみを感じて紅茶を無償で提供します。マーサはドニーを気に入り、毎日パブへやってくるように。

ドニーはマーサの抱える精神的な問題に薄々気付いていましたし、彼女に女性としての魅力を感じてはいませんでした。しかしコメディアンとして否定され続けて承認欲求や自己肯定感が満たされていなかったドニーは、彼だけを見つめ、称賛して慕うマーサを退けることができません。それどころか彼女の痛々しさが気になり、その気の毒さが和らぐよう、彼女を称賛し始めます。

そんなふたりをからかうパブの仲間たち。ドニーが自分に好意をもっていると勘違いしたマーサは綴りのおかしなメールを大量に送り付けたり、性的な誘惑をしたりするようになります。

気の毒な女性マーサの異常性に気付いた頃には時すでに遅し。マーサは奇矯なところが大いにありましたが、ドニーの心の傷を察知する敏感さをもっていました。ドニーがマーサに対して中途半端に優しさや同情を示したことも仇となります。彼女の常軌を逸したつきまといの数々によってドニーは追い詰められ、迷惑行為はドニーの元彼女キーリー、現恋人テリーにも及びます。

遡ること5年、ドニーはコメディアンとしてエディンバラ・フェスティバル・フリンジに参加。もちろんまったくウケませんでした。そんなとき、脚本家のダリアンと知り合います。彼の指導により、ショーは成功。ロンドンに戻ったダリアンは仕事をエサにドニーの気を引き、ドラッグで酩酊させて彼に性的暴行を働きます。ドニーは心身ともに傷を負いますが、成功への欲に負けてダリアンの言いなりになります。やがてドニーは自分がストレートなのか、バイセクシャルなのか、ゲイなのか分からなくなって精神的に混乱。深い苦しみをもたらしました。

ドニーはなぜ性暴力の被害者になったのか、なぜマーサのような人物を引き寄せたのか、ストーカー被害に遭いながらもマーサに心理的に依存したのはなぜか、それらが物語とドニーの独白を通じて紐解かれていきます。

登場人物

ドニー(ドナルド)・ダン:スコットランドからロンドンへやってきたコメディアン。カムデンのパブ「ザ・ハート」で働いている

マーサ・スコット:弁護士を自称する40代女性。毎日パブ「ザ・ハート」に現れ、ドニーに対して本当とは思えない話を延々と続ける。ドニーを「私のトナカイちゃん」と呼んで執着し、ストーカーになる

キーリー・リー:ドニーの元彼女。ドニーと別れた理由のひとつは彼が “性的不能” になったこと

リズ・リー:キーリーの母でシングルマザー。息子は事故死した。娘キーリーがドニーと別れてからも彼を息子のように思って邸宅に住まわせ続けていた

ジーノ:パブ「ザ・ハート」で働いている。からかい半分でドニーとマーサをカップルにしようとする

グレッグジー:パブ「ザ・ハート」で働いている。からかい半分でドニーとマーサをカップルにしようとする

ディグジー:パブ「ザ・ハート」で働く若い新人

テリー:トランス女性。トランスジェンダー系出会いサイトでドニーと知り合う。セラピストでアメリカ人

ダニエルズ:ドニーに応対する警官

ジョアンカルバー:刑事。ダニエルズの上司

ダリアン・オコナー:エジンバラでドニーと出会うゲイの脚本家

フランシス:ドニーの演劇学校時代の友人。リズの邸宅を追い出されたドニーの居候先

ビジョー:ドニーの友人。フランシスの悪友

ジェリー(ジェラルド)・ダン:ドニーの父。スコットランドに住んでいる

レノア・ダン:ドニーの母。スコットランドに住んでいる

感想:「トナカイちゃん」はドニー、ドニーはマーサ

ドニーとマーサの関係からわかること

先にも一部を書いたように

  • ドニーは長きにわたって承認欲求や自己肯定感が満たされていなかった
  • 自分に対する自信のなさを埋めるために、他者からの称賛を必要としていた
  • 彼を称賛し、愛情を全面的に振り向けてくれる部分についてはマーサの存在がありがたかった
  • マーサの気の毒さ(愛されなさそうなビジュアル、恐らく底辺層であろう社会的立ち位置、あまり評価されてこなかったであろう能力など)を労わることは、哀れな自分を慰めることに通じていた
  • それにより自身の哀れさを痛感せずに済んだが、哀れな自分であることに執着していたのは実はドニー自身だった
  • ゆえに、いざマーサが自分の生活(時間や場所)から消えると自分の何かが欠損したような気持ちになってしまう

「哀れな自分であったからこそマーサを受け入れ」「彼女が自分の人生から消えることをどこかで寂しく感じた」というふうに私には見えました。もちろんドニーはマーサによるストーカー被害に悩み苦しんでいます。一方で “自己評価の低さ” や “自分に対する嫌悪” はもはや「そう」と自覚できぬほどまでに自分(自己意識)の一部になっており、そういった自身の特性や諸問題に気付かせてくれるのが “出会う人” だったり “巻き込まれる出来事” だったりするわけで、望むと望まざるとにかかわらず、そこに “本当の自分” に出会う機会が埋もれているのです。

ラストの場面が非常に素晴らしい

このドラマは最終エピソードのラストシーンが見事です。個人的には近年稀にみるレベル。

ドニーはマーサを理解しようと音声の分析を続けています。パブに立ち寄ったダニーは、まだ聴いていなかった彼女からのボイスメールを再生。

彼女は自分がなぜ「トナカイちゃん」に執着するのかを語っていました。ドニーはマーサのすべてを了解します。そのときパブのカウンター席にいたのはドニーであり、同時に初めて出会ったときのマーサでもありました。

一気に見られるボリュームの作品です。ぜひご覧ください。

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