原題は “The Lost Flowers of Alice Hart”。オーストラリアの作家、ホリー・リングランドの小説が原作。ジャンルが今ひとつよくわかりませんが、事件や暴力(DV)、家族の抱える秘密などが描かれるので「サスペンス」要素のある作品です。人間模様が思わぬ方向へ展開していくという意味では「ヒューマンドラマ」。
このところ時間に余裕がなかったり、さほど面白い作品を見かけなかったりで記事を書いていませんでした。そんななか、面白そうなドラマシリーズに出会えて嬉しいです。
2023年8月4日に最初の3エピソードがリリースされ、その後毎週1エピソードずつ公開されていくという形式を採っており、現時点で5エピソードまで配信されています(Amazonプライムビデオ)。
魅力は何かというと、まずはオーストラリアの自然の雄大さと美しさ。花や花言葉が随所に登場し、ストーリーに意味を与えています。前提となる小説作品があるため細部まで作り込まれおり、建物やインテリア、小道具にちょっとした時代感覚があります。表面的に進行している物語の陰に謎が散りばめられていて、そういった点で「またの名をグレイス」を思わせる何かがあります。
現時点で最終話まで観ていないので、この先どのような展開を迎えるかはわかりません(小説も読んでいないし)。ただし急に『駄作街道まっぐら』へと方向転換することはないように感じます。
“簡単なあらすじ” と “登場人物”
“エピソード3まで“ と “それ以降” で展開が大きく変わる
エピソード3までがアリスの少女期(演じるのはアリラ・ブラウン)、エピソード4からは成長した姿(演じるのはアリシア・デブナム=ケアリー)です。私は少女期のアリス役のほうが好き。演技も達者だし。
成長したアリスは “花言葉師” という謎の職業に就いています。しかしある出来事により、その仕事を捨てて祖母ジューンの元を離れ、アグネス・ブラフを目指します。少女時代の儚げな面影はなく、身のこなしがゴツくて気の強い、大味なお姉さんに成長しています。少女時代のアリスと同一人物に見えないのですが、人間は変化する生き物ですから不自然なレベルの違いではありません。
サスペンス色の強かったエピソード3までとは異なる方向へと話が転がっていきます。せっかく詩的だったのに、この辺りから俗っぽい印象が強まる点がいささか残念。家族関係にまつわる謎や闇が随所に盛り込まれていますが、最終話まで観れば「サスペンス」というより、むしろ「ヒューマンドラマ」なのかも。“家族の再編と成長” あたりが物語の着地点と予想してみます。
偶然拾った小ネタ
このドラマシリーズはオーストラリアが舞台なので、演じているのもオーストラリアの俳優陣がほとんど。そのなかでジューン・ハートを演じるシガニー・ウィーバーはアメリカ人。あのシガニーさんも今や70代、時の流れは早いものです。それで彼女の英語なんですが、オーストラリア訛りになったり、ならなかったりでバラツキがみられるようです。もちろんその違いを私は識別できません。
ジューン・ハートがシェルターに匿っているステラという女性。演じているのはレニー・リムという人物ですが、女優業をしていないときは医師として働いているそうです。東洋系のビジュアルです。
アリスの母アグネス役はティルダ・コブハム=ハーヴェイ。映画「ホテル・ムンバイ」ではベビーシッターのサリー役でした。
未公開の2エピソードを観て、何か思うところがあれば後日内容を補足します。
エピソード6について(8/25追記)
私の予想は8割がた当たりました。
- アリスは死んだ父トリムに似たタイプの男性に支配・コントロールされる
- トリムはジューンと “泥棒男爵(ロバ―・バロン)” の間に生まれた息子ということになっているが真相はもっと複雑である
当たらなかったというか、想定していなかったのは “ツウィグの家族ネタ” 。
子どもの頃の体験や刷り込みが人生に対して陰ひなたから影響を与える、おかしな男に関わらないほうがいい(おかしいと気付かないのにも育ち方が関係している)辺りを再確認したエピソード6でした。
エピソード7について(9/1追記)
小説を読んでいないので結末がどのように描かれているのか知りません。ドラマは、この先が具体的に表現されなかったことで “よい終わり方” になったと思います。
祖母ジューンが “秘密” を “秘密” のままにして、情報をコントロールしていたことが孫娘アリスの痛みを長引かせた面もありますが、大局的にみると物事は明らかにされるべきときに明るみに出るものです。
「赤の大地と失われた花」って素敵なタイトルです。その物語の本質は “継承” だと思います。その人、その家族に典型的な傷や痛みも “継承” されますが、それら対峙し取り組んできた先人の足跡も “継承” されます。 アリスが未来に向かって過去を癒し、揺るぎない自分自身を取り戻すことができれば家族の過去や関わってきた人たちも癒されることでしょう。
虐待されてきた女性に限らず、民族や人種などにも拡大解釈できる作品。