トルコの作品は、これまですべて視聴を挫折してきました。「きっと相性が悪いに違いない」と思っていたところ、ドラマ「クラブ・イスタンブール」は面白いことに気付きました。
当作品(原題:Kulüp)のテーマは何だろうと考えてみますに “家族(のような関係性)” ではないかと。家族とは血のつながりによるものに限りません。殺人や事件、うさん臭い人たちが絡み、謎もありサスペンスっぽくもあるのですが、1950年代に始まり1960年にかけてのトルコの政治や宗教といった社会情勢に翻弄された人たちが家族として、家族のように生き抜いていく姿を描いています。
各シーズン10エピソードあるので、そこそこ長丁場の視聴となりますが、面白いので気になりません。シーズン1はそれぞれ50分弱、シーズン2は40分弱のエピソードが多いです。
子役を含めて出てくる人みんな、とても演技が上手です。シーズン2の終わりはメロドラマ性が強いのかと思いきや、社会や私たちへの問題提起をも感じさせます。
ドラマのあらすじ
イスタンブールにあるナイトクラブの 「クラブ・イスタンブール」が主な舞台です。私は日本人ということもあって疎いのですが、物語には当時の社会情勢、すなわち宗教の問題(イスラム教、ユダヤ教、ギリシャ正教)、キプロス紛争(キプロス、ギリシャ、イギリス、トルコの摩擦)などが絡んでいます。
シーズン1
殺人の罪で17年服役したマチルダ・アセオは恩赦により出所します。もろもろ逆算していくと1954年頃ではないかと思われます。彼女はユダヤ人でイスラエルへ渡ることを考えています。
古い知人のダビドを訪れたマチルダは、施設で暮らしている娘のラシェルに会うことを勧められます。
ラシェルはやんちゃな若い娘。友人タスラに手紙を渡すように頼まれ、スケコマシのドライバー、イスメトのところへ出向いていき、自分も彼に恋をします。その後タスラが勤務していた「クラブ・イスタンブール」へ侵入した罪で身柄を拘束されますが、支配人チェレビによって訴えは取り下げられ、母のマチルダは娘がもたらした損害の代償を支払うために「クラブ・イスタンブール」で働くようになります。
娘ラシェルは自分の人生に突然現れた母マチルダを受け入れようとしません。マチルダは娘と和解し、ともに暮らそうとしますが、なかなか上手くいきません。一方でマチルダは、自分が殺したのがラシェルの父親であることを隠し続けます。
時代のムードは「クラブ・イスタンブール」に対し、従業員はムスリム、ギリシャ人は排除してトルコ人で揃えるよう求めます。
マチルダやラシェル、チェレビなど、「クラブ・イスタンブール」に関わるそれぞれが岐路に立った頃、イスタンブールのポグロム(トルコ人によるギリシャ人コミュニティの襲撃)が起こります。
シーズン1では、①マチルダと娘ラシェルの関係の変化、②マチルダと「クラブ・イスタンブール」を取り巻く人間模様、③ラシェルとイスメトの関係の行方、④トルコ人とギリシャ人の反目に市民が巻き込まれていく姿などが描かれます。
シーズン2
このシーズン、正確に言うとラシェルにイスメトとの娘ラナが生まれたシーズン1の最後から “後年のラナが語っている” 体のナレーションが入ります。声質が “おばあちゃん” ぽくて自叙伝を朗読している感じです。1955年生まれならば2023年には68歳の設定なので声質と一致します。
物語の時期は1960年頃。ラシェルにラナという5歳になる娘がいるところからスタートします。
ふたりは「クラブ・イスタンブール」を自分たちの家のように感じています。ラナの父イスメトとは疎遠で、ラシェルはそんな日々に虚しさや寂しさを感じていたのでしょう。満たされない気持ちからしばしば小売店で窃盗行為を繰り返します。
「クラブ・イスタンブール」にはケリマンという新顔がいます。セリム・ソングシュの二番手につけているセクシーな金髪の女性シンガーです。
「クラブ・イスタンブール」は追徴課税により、差し押さえの危機に瀕します。歌手ケリマンは、悪辣な不動産ブローカーのフィクレト・カヤラの指示で、支配人のチェレビらが窮地に陥るように工作します。それを助けることでフィクレトはチェレビに恩を売り、「クラブ・イスタンブール」への影響力を確かなものにしていくことを企んでいます。
そして1960年5月27日、軍部がトルコ国政を掌握するクーデターが発生。時期を同じくして、「クラブ・イスタンブール」の家族たちにもクーデターが起こります。
シーズン2では、①「クラブ・イスタンブール」の経営を取り巻く陰謀、②ラシェルとイスメトの関係の行方、③マチルダ&チェレビと「クラブ・イスタンブール」に関わる人たちが家族のような絆で結ばれていく姿、④ラシェルの娘ラナから見た家族の愛憎や悲哀などが描かれます。
登場人物
シーズン1
- マチルダ・アセオ:スペイン系ユダヤ人(ラディノ語を話すセファルディム)。ムスリムである恋人ムムタズ・ペクタシュを射殺。その罪で17年服役し恩赦で出所する。父はサロモンという名でイスタンブールで「アセオ海運」を経営していた。裕福な家庭で育っている。恋人のムムタズは父親の右腕だった
- ラシェル・アセオ:マチルダの娘。父は死んだムムタズ。両親のいない子として養護施設で育つ。ドライバーであるイスメトの子を妊娠する。イスメトには “アイセル” と名乗っている。ユダヤ人
- イスメト・デニゼル(ピーチ):ドライバー。女性との結婚を望んでいない。母親と同居。父アリ・シェカーを軽蔑している。イスラム教徒
- アリ・シェカー:イスメトの父。あくどいビジネスを牛耳っている。1995年に起きたイスタンブールのポグロムを扇動
- タスラ:ラシェルの友人。「クラブ・イスタンブール」で踊り子をしている。イスメトに恋しているが相手にされない。トルコ系ギリシャ人
- セリム・ソングシュ:リードシンガーを目指す男。「クラブ・イスタンブール」で歌うようになる。実はインテリで工科大学の大学院修了。両親との関係に問題を抱えている。アイデアも華もあるが精神的にもろいところがある
- オルハン・シャヒン(ニコ):「クラブ・イスタンブール」のオーナー。メンタルがもろいシンガーのセリムに対して非常に粘り強い。母親と暮らしており、彼女は当初しゃっきりしていたものの徐々に認知症になっていく。出自(恐らくギリシャ人でギリシャ正教)を隠している
- チェレビ:「クラブ・イスタンブール」の支配人。なぜかマチルダを知っているような素振りを見せる。マチルダとしばしば対立する。シーズン1の終わりのほうで立ち位置がガラっと変わる。イスラム教徒
- ハチ:田舎から出てきて「クラブ・イスタンブール」で働く。ユダヤ人。シーズン1では非常にかっぺ臭い。優しく真面目な性格で足るを知る男
- バティア:ハチとともに田舎から出てくる。「クラブ・イスタンブール」で働く。野心家の面があり、やがてアリ・シェカーの下で働くようになる。踊り子のタスラに惚れている。トルコ人
- ハサン:「クラブ・イスタンブール」の警備担当者
- ダビド・ピント:マチルダの古くからの知人。養護施設長(?)でユダヤ人
- モルド・ピント:ダビドの息子。ユダヤ人。マチルダの娘ラシェルと婚約する
- クルシャット:実業界の有力者で野心家。イスメトの父アリ・シェカーを駒として使っている。トルコ人
- イシャーク・アセオ:マチルダの兄
シーズン2
- ラシェル:シングルマザーになっている。母マチルダ、娘ラナと暮らしているが、イスメトの愛を得られず満たされない日々を送っている。不遇な子ども時代を送っているので、何かきっかけがあると情緒不安定になったり、足をドンドン踏み鳴らしたりする。シーズン1で “アイセル” を名乗っていた頃に比較して随分とふくよかになっているが、同じ女優さんが演じている
- ラナ:ラシェルの5歳になる聡明な娘。「クラブ・イスタンブール」の人たちに愛されている。シーズン2のナレーター、語り手
- イスメト・デニゼル(ピーチ):アイセル(ラシェル)との復縁に乗り気ではないが、ラナの父親としての務めは果たそうと考える。国際長距離ドライバーを辞めて「クラブ・イスタンブール」で働き始める。怒りっぽいが、アタマの中身はかなりマトモということがシーズン2でわかる
- ケリマン:セリム・ソングシュの紹介で「クラブ・イスタンブール」に入ったシンガー。不動産ブローカーのフィクレト・カヤラと付き合っている。ラシェルと仲がよい。イスメトを誘惑する
- フィクレト・カヤラ:悪辣な不動産ブローカー。ケリマンと肉体関係がある。父親に虐待されており、彼に頭が上がらない
- セリム・ソングシュ:「クラブ・イスタンブール」のリード―シンガー。後輩シンガーのケリマンに何かと足を引っ張られる
- マチルダ・アセオ & チェレビ(アジズ・ソムンジョール):シーズン1とは打って変わり、愛と信頼で結ばれたパートナー関係で「クラブ・イスタンブール」の運営に力を尽くす
- タスラ & ハチ:シーズン1の終わりにバティアが死んだことが関係しているのか、いないのか、ふたりは交際するようになり、やがて結婚する。ハチはバティアと異なり善良で優しい男なので、それが正解だ。ハチは昇進し、スーツを着てチェレビをサポートしている
- ファルク・サイダー:サイダー国際貿易の経営者で高利貸し。チェレビは彼に店のお金を預けていた。フィクレトの指示で殺される
- オルハン・シャヒン(ニコ):イスタンブールのポグロム以来、行方不明になっている
- フィレクトの父:シーズン2後半で誰であるか、ファルク・サイダーとの間に何があったかが明らかになる
本作の面白さとは
時間軸が史実に基づいており、政治的動乱や宗教問題に翻弄されるトルコの人々、家族の愛憎や関係構築の長き道のり、華やかなショービジネス周辺に渦巻く野心などが絡み合い、大きな物語を作りだしている点が魅力的です。
舞台設定はまったく違いますが、イギリスでいうと「ダウントン・アビー」のような時代物のよさも備えています。