兵士のモチベーションについて考えさせられる映画「1944 独ソ・エストニア戦線」

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映画「1944 独ソ・エストニア戦線」(原題 “1944” )。まず、エストニアとはどこかを確認してはいかがでしょう。エストニアの人たちは、ソ連赤軍とドイツ軍に分かれて戦いますので、周辺国との位置関係も併せてご参照ください。

かつてソ連に属していた国は、アルメニア、ジョージア、アゼルバイジャン、エストニア、ラトビア、リトアニア、タジキスタン、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、カザフスタン、モルドバ、ベラルーシ、ウクライナです。

エストニアは13世紀以降、デンマーク、スウェーデン、ドイツ騎士団、ロシア帝国に領有されますが、1918年にロシア帝国から独立。しかし第二次世界中の1940年にソ連に併合。翌1941年の独ソ戦により、ドイツに占領されます。大勢のエストニア人がふたつの国、すなわちドイツまたはソ連の兵士として動員されました。その3年後の1944年、エストニアはドイツを退けたソ連によって再併合されます(←本作は、この時期の状況を描いている)。極めて短期間のうちにオセロゲームで白くなったり、ひっくり返って黒くなったりするごとくに、戦争によって多くの人々が翻弄されました。

1991年、ソ連崩壊に伴いエストニアはその独立を回復します。現在の同国はIT国家として名を馳せています。Skypeはエストニアで生まれた仕組みだそうです。

ドイツ軍に動員されたエストニア人兵士たち

映画は1944年7月末、エストニア国境にソ連赤軍が迫りつつあるところからスタート。ドイツ武装親衛隊第20SS武装擲弾兵師団第3小隊(主に義勇兵からなるエストニア人部隊)によるタンネンベルク線の戦いが描かれます。エストニアの義勇兵カール・タミクは、デンマークの義勇兵らと共に戦います。

陣中見舞いの役人でしょうか、ネクタイを締めた中年男性によって過酷な戦線での戦いを称えられ、エストニアがドイツの傘下で地歩を固めつつあることを力説され、ヒトラー総統のサイン入り写真を渡される兵士たち。兵士として戦ったことなどなさそうな中年男性が「ヒトラー万歳!」と片手を挙げても「言えません」と返します。兵士たちは笑いを噛みつぶしています。現場を身をもって知ることのない上位者の言うことを軽く扱うのは一般社会でもよくあることですが、「こいつに一体何が分かるんだ」という感覚が強いのでしょう。

9月19日、エストニア本土からの撤退に追い込まれるドイツ勢。カールの小隊はアヴィナーム近郊へ移動。カールは戦地で手紙をしたためています。内容は3年前の出来事について。

検挙があると聞いていたにも関わらず夜、街へ出かけたこと。街でも検挙の噂を聞いたので急いで帰宅したが間に合わず、両親と小さな妹がシベリアへ連行される姿を見つめるほかなかったこと。その責任を感じて出征したことを手紙で告白します。カールは家族への罪悪感から、ドイツ武装親衛隊の義勇兵になったのでした。

9月20日 ドイツ武装親衛隊第20SS武装擲弾兵師団第3小隊はソ連赤軍のエストニア人部隊と交戦。カール・タミクはソ連赤軍の下士官ユーリ・ヨギによって射殺されます。カールが撃たれた後、ソ連赤軍のビーレス大尉は、相手陣営が同じエストニア人であることに気付き、攻撃を止めるよう部下たちに指示します。

ソ連赤軍のエストニア人ユーリ・ヨギは、射殺したカール・タミクの懐にあった手紙を持ち帰ります。

ソ連赤軍に動員されたエストニア人兵士たち

ここから物語の視点は、ユーリの所属するソ連赤軍第8エストニア人小銃部隊第249小銃師団へと変わります。ストーリーや場面の転換が自然で見事です。

9月22日、ソ連側のエストニア人部隊がタリン入りします。ユーリは宛先であるアイノ・タミクを訪問して手紙を渡します。アイノはカールの姉でした。

姉のアイノは手紙を読んで、明るい性格だった弟カールの変化について、その理由や背景を理解します。「罪なき人が罪を感じ、罪深い人は感じない」とアイノは言います。カールは戦死し、戦場で埋葬したとユーリはアイノに伝えます。ユーリは美しいアイノを前に、自分が彼女の弟を射殺したことを告白できません。

ふたりは互いに恋心を抱き、繰り返し会うようになります。爆撃で被害を受けた、誰もいない教会。ふたりの前にはキリストの絵があります。アイノはユーリに言います。「私の家族を追放した人を許そうと思う。弟によればヨギって人らしいわ」と。

ユーリの部隊は11月、サーレマー島(バルト海の島)へ上陸することになります。

別れ際、カールの姉アイノは手紙を書く身振りを示しながら、ユーリの姓を尋ねます。出会って日が浅いとしても、姓くらい知っていて当たり前では、という突っ込みはともかく、ユーリは「トゥール」と答えます。まさか「ヨギ」とは言えなかったのでしょう。

同胞同士が敵味方に分かれて戦うということ

サーレマー島では、ソ連赤軍エストニア人部隊に補充兵がやってきます。そのなかにドイツ側エストニア人部隊にいた青年(兄弟のうち生き残ったほうでカールの後輩)が含まれていました。「ドイツ軍への従軍経験があり、撤退に伴い帰郷したところ、今度はソ連赤軍に動員された」と言います。

自分の意思でドイツ側につく/ソ連側につくを決めるのか、そのときの情勢でどちらに動員されるかが決まるのか、その辺りはケース・バイ・ケースという印象を受けましたが、それについて当事者たちはどう感じていたのでしょうか。

11月22日、ドイツ軍の最終防衛線であるソルベ半島を進軍中、ソ連側であるユーリたちは、ドイツ軍の後方支援部隊として強制動員されたエストニア人少年脱走兵たちに遭遇します。大佐から「裏切り者を処刑せよ」と命じられた下士官ユーリは「子どもです。僕には撃てません」と答えます。指示に従わない部下と押し問答を繰り返していたのでは、ほかの兵士たちに示しが付かないためか、大佐はユーリを射殺します。「同じエストニア人」「少年」ということもあったでしょうが、ドイツ軍側兵士として戦ったカール(アイノの弟)を射殺したことを心底後悔していたため、ユーリは大佐の指示に従わなかったのだと思います。

戦争から戻り、死んだユーリと親しかった仲間が、彼の懐にあったアイノ・タミクへの手紙を届けます。

兵士は何によってモチベーションを維持するのだろう

兵士の戦いに対するモチベーションが何であるか、私には分かりません。自分だったら、と考えてみると「戦う目的が明確でない」「戦う目的に賛同できない」としたら、兵士として戦地に赴く気など微塵も起きません。ドイツ勢として戦うか、ソ連勢として戦うか。どちらもイヤ、しかしどちらかの一員として戦わねばならないとしたら大変なストレスです。個人的信条、人間としての感情を放棄して、機械的に兵士として働くことで内面の痛み/苦しみを最小化しようとするでしょう。内面の痛み/苦しみの最小化を促すのが徹底した思想教育、軍隊教育なのだろうと推察します。

機械的に戦いに従事できるモードへと自分を上手く切り替えられない限り、私だったら注意散漫ともたつきで真っ先に戦死しそうです。そういった鈍くさくて足手まといな人たちを、多少なりとも精鋭に近づけるのにも思想教育、軍隊教育が有効と思われます。

自分のアタマであれやこれやと考え込ませ、それぞれの価値観で動き回ることを許容したのでは、勝てる兵士、優秀な部隊を育成できません。

少し前まではドイツ、今はソ連。お給金の出る傭兵ならば都度勝算のありそうな側に加わればいい気もしますが、数年のレンジで占領国が代わり、そのときどきの立場において真剣に戦争に取り組む人ほど、アイデンティティが根底から揺らいで病むのではと思います。同じ国民が二手に分かれて戦うということは、かつての友人・知人が今日の敵となる、ということでもあります。戦争という大義名分があっても、知り合いと殺し合いたくはないですね。

愛国心とか、思想や理念の実現を目指すとかのマインドは、拠り所として強化するようなベクトルで教化され続けない限り、次第に薄れていくものだと私は思います(少なくとも私はそうです)。ある種の洗脳が解けていくことで幻想が消失し、最終的には生物学的な存続(本能)が優先されるのではないでしょうか。すなわち最後に残る “戦うモチベーション” とは “生きて帰る” こと。この映画で言えば、ソ連赤軍エストニア人部隊のユーリは生きて帰って、アイノと真っ白なところから関係を再スタートしたかったことでしょう。

ドイツ側として戦ったカール、ソ連側として戦ったユーリ、彼らは自分にとって距離の近い大切な人であるからこそ、アイノに真実を告げることができませんでした。死が身近となったとき、愛する人たちに対する罪悪感から赦しを乞う。それは戦地の兵士のみならず、死の床にある人にもみられることです。真っ新になりたい、せめて死ぬときくらい。この世を去るとき、多分私もそう思うので、その心境には大いに共感します。

映画の最後に “自由の名の下に戦い 苦しんだすべての人に捧ぐ” というメッセージが出てきます。空虚な想定、理想郷的概念のために今を犠牲にすることは多くの場合、苦しみをもたらします。戦地に赴いた兵士たちの心中を推し量ることは困難ですが、その苦しみが幾度も繰り返されることがないことを祈ります。

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