肺がんを宣告された高校の化学の教師が「家族に財産を残すこと」「自分に要する高額の治療費を作ること」を目的として、社会からドロップアウトしている元・教え子と協力しあって、低所得者向けの覚せい剤を製造・販売することを決める、というところからスタートするお話です。
とても評価が高い作品のようですが(確かに、ものすごく面白い。教育的とは言えないけれど)まさに「因縁正起」の世界を表現し切っています。
脚本(シナリオ)とは、すなわち「因縁正起」に他なりません。「因縁正起」(仏教用語)とは
- 原因があるから、結果が生じる
- しかし、原因だけでは結果に至ることはなく(≒至ることができず)、「因に縁が触れる」ことによって現象化する
種子がなければ花は咲かない。でも種子だけあっても「花が咲く」という現象を生まない。「種子」→「開花」のプロセスには、水や空気や適切な温度などが関わってきます。人間で言うと「開花」のプロセスに関わってくるのが「縁」。
例えば反社会的である、社会に順応できないという因(カルマ)を持っている人がいるとします(カルマは何であってもよいです)。でも、その種子を保有しているだけで、反社会的な人物、社会不適合者になるとは限りません。
社会や不特定多数の他者と関わり縁が生まれることで、その種子が発芽します。誰と関わるか、どんな関わりか等の質によって、発芽した種子の成長の仕方や外側への見え方も異なります。
このドラマは俳優陣も上手いけれど、脚本が素晴らしいです。
登場人物には、それぞれの因(カルマ)があります。また各家庭にも特徴的な因(カルマ)があります。それらの因(カルマ)に、やはり因(カルマ)をもつ、いろんな人が相互に関わることにより、それぞれが見事なカルマの花を咲かせます。
A ⇒ B ⇒ C(AがBにつながり、Cに至る)というような単純なものだけでなく
[第1連鎖]A ⇒ D ⇒ E
[第2連鎖]B ⇒ F ⇒ G
[第3連鎖]C ⇒ H ⇒ I
といった伏線が『蜘蛛の巣』のように張り巡らされ、それがさらなる縁を生み、それがさらに別の因(カルマ)に触れて派生的なドラマを生んでいきます。この『蜘蛛の巣』の作り方が実に見事です(日本のドラマも見習って欲しい)。
因(カルマ)と縁を上手に配置し、つなげて立体的にしていく能力の優れた人が、素晴らしい脚本を書き、完成度の高い世界を表現するのではないかと思いました。
- これを決めなければ/行動に移さなければ、このようにはならず
- このようになったからこそ、次の選択があり、今このようにある
という 『蜘蛛の巣』 ドラマを生きているのが私たちです。
「因縁正起」のシナリオに従って生きているのが人間であり、ドラマ「ブレイキング・バッド」に限らず、それが人生を面白くします。
スピンオフ作品「ベター・コール・ソウル」についてはコチラ(↓)をどうぞ。