海外ドラマから「認知の歪み」を考えてみる-「HAPPY VALLEY(ハッピー・バレー 復讐の町)」

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イギリスBBCのドラマで、ヨークシャーの架空の街が舞台です。

出産後に自殺した娘をもつ巡査部長キャサリン。亡き娘ベッキーの遺した男の子と暮らしています。職務上のひょんなことから、亡き娘の子供の父親であるサイコパス(トミー)を追うこととなり、満身創痍となりつつも、憎きトミーを刑務所にブチ込むのですが…。

トミーは気持ちの悪いサイコパスなので、図式としては「キャサリン=良き者」「トミー=悪しき者」みたいに見えますが、本当にそうでしょうか。実際には、巡査部長キャサリンもサイコパスのトミーも、みんな「認知が歪んでいる」んです。

「認知の歪み」について、Wikipediaから引用します。

誇張的で非合理的な思考パターンを意味し、これらは精神病理状態(とりわけ抑うつや不安)を永続化させうるとされている。

上記説明を前提にすると、あたかも病的な人に偏って生じるかのような「認知の歪み」。それがあることで、メンタルな問題へ発展するかのような「認知の歪み」。しかし普通に見える人たちにも「認知の歪み」はたくさんあります。

余談ですが、巡査部長キャサリンを演じるサラ・ランカシャーは私と同い年。彼女がドラマのなかで鼻水を垂らし、ティシュでかみながら泣く姿、トミー役のジェームズ・ノートンが、坊主頭の頭皮まで真っ赤にしながら泣きじゃくる姿を観ると、イギリスの俳優ってすごいよな~と思うと同時に、あまりにも見事に演じ切るがゆえ、役者である彼女ら自身がソシオパスやサイコパスにも見えてきます。

さて、息子を残して自殺したベッキー(キャサリンの娘)。ベッキーの周辺に対して、家族それぞれの認識は異なります。

[キャサリンの視点と闇]

  • 「娘はトミーにレイプされて、その子供を産んだ」
  • 「トミーはサイコパス」
  • ベッキーが自殺したとき、息子のダニエルに「お前が代わりに死ねばよかったのに」と言う。その言動にダニエルは深く傷ついた
  • ベッキーの生んだライアンには罪はない、ライアンの半分はベッキーいう理由から、彼の面倒を見ている

[息子ダニエル の視点と闇 ]

  • 「ベッキーは遊び人の自己中でアバズレ。トミー達とつるんで遊んでいて、トミーに憧れていた。自ら望んで彼に抱かれた」
  • 「トミーはサイコパスなんかじゃない。愛されなくてひねくれただけだ」
  • 母キャサリンはベッキーとその死を美化しすぎ、現実を冷静に見るべき、と考えている
  • ダニエルは、そのままの自分を愛されることがなく、常に叱責されてきた、それに対し、ベッキーは甘やかされて育ったと認識している

[別れた夫の視点と闇]

  • 娘ベッキーの自殺現場(遺体)の第一発見者
  • ベッキーの産んだライアンを自分の孫と認めることができず、キャサリンと離婚

[妹クレアの視点と闇]

  • 姉キャサリンが、娘ベッキーの自殺の件や孫ライアンの父であるトミーに執着し過ぎていると感じている
  • 姉のことを思っていろいろするけれど、姉の顰蹙を買うことが多い
  • (どうでもよいことだけれど、クレア役は「ダウントン・アビー」でオブライエン役だった人)

このように「ベッキーの自殺」に関し、それぞれが異なる見方をしていることが分かります。巡査部長キャサリンに感情移入すると「愛する娘ベッキーの仇を打つため憎きサイコパス、トミーの社会的な息の根を止めるべき」というふうにドラマを鑑賞するかもしれません。

一方で息子ダニエルの立場から見ると、たとえ混乱していても「ベッキーの代わりにお前が死ねばよかった」とは言わないのが普通の母親で、「ベッキーの血を引いているから」という理由で孫のライアンを手元に置いていることから、キャサリンは息子ダニエルよりも娘のベッキーに “執着や情(思い入れ)” が過多であるようにも感じられます。

いち視聴者の私は、上に整理される情報から「キャサリン ⇒ ベッキーに甘い」「ベッキー ⇒ 自由奔放、不良のトミーに憧れていたが、実際に肉体関係をもつと彼の異常性に気づき、彼の子を産んだことを通じてもろもろに絶望した」というふうに、自分の視点や解釈を補正します。

一応の解釈はできますが、誰の解釈も正しくはないのです。判断材料を増やし、より真実に近いストーリーを作り上げることはできるけれど、“真実” は “解釈” とは異なるのみならず、“解釈” からまったく独立して存在しています。“解釈” が “真実” を正面から把握することはありません。

それが「広義での認知の歪み」です。人間として生きている以上、認知は歪みます。だから簡単なように見える『内観』も実は難しいのです。

なお反社会性人格として、サイコパス(精神病質)は先天的なもの、ソシオパス(社会病質)は環境要因によって作られた後天的なもの、と考えられているようです。しかしながら反社会性人格につながりやすい素地・素質、それらを助長する成育環境・成育歴という両者の兼ね合いから生まれるほうか自然なので、先天的なものと後天的なものを切り分けて分類・診断するのは難しいと私は考えます。

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