15年にわたる被疑者についての記録。アメリカの事件について、フランスのチームが制作しています。
小説家マイケル・ピーターソンは「妻キャスリーンが階段から落ちた」と通報します。階段から落ちただけとは思えないほどの傷と出血で妻は死亡していました。現場やマイケルの通報の状況に不審な点があったため、彼に妻殺害の容疑がかかります。裁判で有罪となり8年間服役しますが、再審請求が認められ振り出しに戻ります。
ニュートラルな態度でこのドラマを見始めたのですが、最初にマイケル・ピーターソンの顔を見た瞬間に「この人は大ウソつきだ」「信用に値しない」という直感を得ました。犯罪ドキュメンタリーはいろいろと観てきましたが、そんなことは今までありませんでした。
彼は、ドイツで暮らしていた頃に仲の良かった隣人の娘ふたりを養女にしていました。養女にしたのは、彼女たちが両親を失ったからです。そして母親は、キャスリーン同様に階段から転落して死亡していました。マイケルは養女として大切に育てますが、同時に彼女たちの親の遺産も受け取っています。そしてドラマ内では語られていませんが、マイケルはいっときベストセラー作家であったものの近年の作品は売れず、お金に困っていて、ピーターソン家の経済はキャスリーンが支えていたそうです。
アメリカとドイツでの階段転落死。そういう偶然があり得るのか。検察側はそこに着目し、捜査を進めていきます。
先に書いた「Making a Murderer-殺人者への道」においても、冤罪被害者(かもしれない)スティーブン・エイブリーは、実は結構なろくでなしであるにも関わらず、ドキュメンタリーでは彼の良い面を残し、そうでない情報を切り捨てた内容となっています。よくできたドキュメンタリーと思いますが、公正かと言えば、そうでない面がある、ということです。
「ザ・ステアケース~階段で何が起きたのか~」は制作者の “被疑者びいき“ がさらに極端で、マイケル側にべったり張り付いて取材した内容となっています。フランスのチームのひとりが、制作期間の15年にわたりマイケルと恋愛関係にあったそうなのですが、そういう背景事情もあるのでしょう。
一方では弁護団への密着度も高く、裁判に向けての作戦会議、陪審員たちの感情を揺さぶるための演出の用意、検察との駆け引きなど、アメリカの裁判事情がよく分かる内容となっています。
ドラマを視聴していくと、マイケルが雄弁で人の気を逸らさず、自分のトークに酔いしれ、その文脈で話を作り出していくタイプの人であることが強く感じられてきました。顔つきにそれが凝縮されていたので、面構えを見ただけで「この人は大ウソつきだ」「信用に値しない」 というフラグが、私のセンサーに表示されたのだと思います。
マイケルは2度結婚、一方でバイセクシャルで男性とのアバンチュールも楽しんでいました。そして記録動画で「ボクはキャスリーンを愛していたんだ。今も愛している。あんな関係は二度とないだろう」(涙目)的なことを語りつつ、取材チームのフランスの人と還暦くらいの歳から15年の恋愛ですか。知れば知るほど気持ちが悪いわ。愛を語れば語るほど、こちらの心は冷えます。冷え冷え。
ただですね、腐っても小説家なので言葉での表現やユーモアが巧みで、そういうマジックで人を吸引していく感じは伝わってきました。場を和ませたり、煙に巻いたり、自分のペースに巻き込んだり、自分や相手の居場所を作ったりするのが上手いのです。
だからかどうかは知りませんが、特に養女たちは一貫してマイケルの熱烈な支援者。年長のマーガレットは、日本国内視聴者において噂になるほど、血のつながっていないはずのマイケルと顔がそっくり。まあ確かにそっくりなのですが、私は日本で育った人間なので、欧米人から見ても両者がそっくりに見えるのかどうか、他人の空似レベルのものなのかは分かりません。
いずれにせよ、世界と人生知ったかぶりの詩的トークに引き付けられる人たちもいる、ということです。人間は全員がウソをつきますが、私はこのタイプのウソつきを好みません。
マイケルは一貫して無罪を主張しています。しかし100%シロということはないように思います。最終的に彼はアルフォード・プリ―(容疑[自分がその罪を犯したこと]については否定しつつ、自分が有罪となること[争っても勝ち目がない状況であること]については同意する)を選択します。
私は以下のように考えます。妻殺しの容疑をかけられて以降の15年、養女たちをはじめ、子どもたちから精神的な支援を大いに受けてきて、彼にはもう子どもたちしか残っていないのです(あとはフランスの恋人ですかね)。“最後の砦かつ宝“ の子どもたちや孫たちとの良好な関係を崩さないために、彼は「自分は無実である」と主張しつづけ続けなければなりません。だから「自分は無罪」というストーリーにこだわった。しかし金策も尽き、これ以上家族の負担を増やすわけにはいかないし、自分も70歳を過ぎていつまで生きるか分からない、ゆえにアルフォード・プリ―を選択した。あくまでも個人の見解です。
この作品が先駆けとなって、数々の犯罪ドキュメンタリーが生まれています。公正さは欠きますが、15年以上の映像取材から作られていますので見ごたえがあります。