冒頭に羊の屠殺シーンがあったりして、けっこうギリギリな映画かもしれません。いろんな意味でボディブローを喰らった気分になるので「こういうのはダメだわ」という人もいそう。
主人公ハンター役のヘイリー・ベネットの演技は素晴らしく、観る者にずっしりとした後味を残します。「囲いから逃れることができず、絶望的な状況のなかで屠られ、人々の上っ面の美食の皿に供された後、その存在を顧みられることのない姿」を羊の屠殺が象徴しているのだと思います。
導入部あらすじ
ハンターは資産家の息子リッチー・コンラッドと結婚します。彼は父親の会社の常務取締役に若くして就任。実家がお金持ちなので新居も買い与えられます。そこだけみると、うらやましい限り。いろんな面で資金提供を受けているようで、後のハンターの異食症の治療費もリッチーの親が負担します。
雑誌に掲載されそうなオシャレな豪邸に住み、素敵なドレスを着て、贅沢な食生活を送ってはいるのですが、ハンターの内面はいつも空虚。外面と体裁に破たんはないし、口では理解のありそうなキレイごとを言いますが、夫リッチーも彼の両親もハンターにさほど関心がありません。彼女はコンラッド一族や夫の “どうでもよい添え物” で、一族の一員として「そつなく」「それなりに」振る舞っていさえすれば十分なのです。
ここで根源的な疑問が湧き起こります。資産家一族の子息が、なぜハンター(恐らく庶民)と結婚したのでしょうか。アメリカって自由なように見えますが、分断された階級社会です。資産家とはいっても新興なのかもしれません。それはともかく…。
結婚したことで世間から切り離されてしまっているハンター。夫やその家族は、彼女の話すら身を入れて聞くことはありません。向こうが失礼なのですが、彼女にしてみれば拒絶されたも同然です。彼らは一族の意向に従うよう、静かに圧力をかけてきます。ハンターのストレスは行き場がありません。
そんなとき妊娠が判明。それを機に、押しピンやドライバー、乾電池などの異物を呑み込みたい衝動を抑えることができなくなっていくハンター。異常な嗜癖はやがて夫とその家族の知るところとなり、大きな問題へと発展していきます。
異食症とは
食べるのは紙・土・氷・髪の毛など。もっと極端になるとハンターのように金属類も口に入れます。子どもや妊婦に多いそうですが、あくまでも相対的な話であり「多い」というほど多くもないのでは。
原因は栄養障害や栄養不良(鉄欠乏性貧血や亜鉛不足)、精神的ストレスと言われています。認知症の場合も異食しますが、それは認知機能の衰えによるものなので、子どもや妊婦の異食とは分けて考えたほうがよさそうです。
人間の話でなくて恐縮ですが、かつて犬を飼っていまして、犬が土を食べるのはミネラルが不足しているからだと聞きました。すなわち栄養不良ですね。おもちゃや電池など、食べ物ではないものを呑み込む癖のある犬もいます。
ハンターは妊婦なので栄養障害・栄養不良とも考えられますが、家族以外の社会との接点がなくなり、一族内でも “空気同然” となったストレスが大きかったのだと思います。
この作品のキモは“内臓感覚”の共有
観る者の “内臓感覚” に訴えかける映画、私は「Swallow スワロウ」をそのように思っています。異食症にそのような解釈があるかどうかまでは知りませんが、映画を視聴した限りではハンターの異食は自傷行為のひとつに見えます。リストカット、〇〇依存症の類です。
「そんなの呑み込んだら大変だろう」とゾッとするような物品の数々をハンターは口に入れます。尖った硬いものを呑み込むので、当然苦しい思いをします。血を流しながら吐き出したり、病院に運ばれて外科的処置で取り出したりすることになるのですが、妊婦ゆえの栄養不良やストレスというレベルを超えた、マゾヒスティックで自罰的な行為に見えてきます。
私にも口や喉・食道、内臓があるので、彼女のしていることを見ているだけで自分の身体が痛めつけられているように感じて寒気がします。痛み、ほろ苦い少しの快感、行為を通じて自分を確認する悪癖を抜け出ることのできないジレンマ…。いろんなものを疑似的に体験しました。
異食の日々から再出発までを描く
夫リッチーや彼の両親は、危ない異食を止められないハンターをどうにかしようと医療施設に入所させようとします。見かねた看護師(コンラッド家に雇われているシリア人)が手助けしたのだと思いますが、ハンターは逃走します。
ハンターには咀嚼しきれていない過去がありました。コンラッド家を出た彼女はその出来事にまつわる人物への接触を試み、事実や真実に向き合い、自分を再定義します。
羊で始まった映画は、ショッピングモールのトイレで終わります。
私たちは異食をストレスのはけ口にしないかもしれません。でも体験を通じてできた心のクセや傷をもっていて、それが自分の車輪を動かします。自分が変わらない限り、車輪は何度も過去のわだちを走ります。そんなことを考えさせられる作品でした。
エンディングの挿入歌「Anthem」がとてもよいです。すべての歌詞が響くわけではありませんが、私が気に入ったのは以下のくだりです。
大切なことを学んだ 健康でいること 愛する人と過ごすこと 好きなことをすること
「Anthem」より