作品の原題は “The Fake Sheikh”。“Sheikh(シェイク:شيخ)” とはアラビア語で長老、首長、賢人、知識人、教師などを意味するそうです。なおペルシア語でも “شيخ” と言うようです。
富豪のアラブ人 “シェイク” を装ってターゲットを犯罪に導くよう圧力をかけ、証拠をすっぱ抜いてスクープ記事を飛ばしていたイギリスの記者マザ・マムード。彼の職業人としてのヒストリーを関係者の証言を綴ることで浮き彫りにした、3エピソードからなるドキュメンタリーです。
視聴していて迷惑系ユーチューバーとか、私人逮捕を標榜して活動している人たちを思い出しました。思い込みが激しかったり一方的な正義観をもっていたりして、最終的には巨大なブーメランが自らに返っていくタイプの人たちです。「おとり取材の王」と呼ばれたマザ・マムードはその先駆けでもあったように感じます。
彼の場合、潜入調査取材の面もあり、素顔を公開しない覆面記者としての数々のスクープにより30年近く英国ジャーナリズムのトップに君臨したという実績もあるのですが、弱ってきたときに足元をすくわれると、その先の転落スピードが相当な速さになるという実例でもあります。
マザ・マムード記者による「おとり取材」
まだ “フェイク・シェイク” ではなかった頃のマザの「おとり取材」として次のようなものがあります。
詐欺罪で服役歴のあったポール・サムライのところに「愛人を殺してもらいたい」という依頼が寄せられる。バーミンガムの医師ラングワニ(62歳、妻子あり)からだった。その情報をマザ・マムードに提供。マザが殺し屋を演じる。彼らはラングワニが殺人を依頼する姿、前払い金を手渡す様子を隠し撮り。ラングワニは逮捕され有罪となる
1990年代のイギリスはタブロイド紙の黄金時代。マザはニューズ・オブ・ザ・ワールド紙(トップセラーの日曜紙)の経営母体ニューズ・インターナショナル社において唯一のアジア系記者でした(とはいっても私たちのような東アジア人ではなくパキスタン系)。当時アジア系記者に任せられるテーマはアジア人関連や人種問題に限られていたようです。
その状況を翻すために、彼は自らの外見を活用するアイデアを思いつきます。彼は “アラブの大富豪(シェイク)” になりすまして「おとり取材」を行います。一般人がいきなり “シェイク” を名乗っても馬脚を露すだけなので、ほどほどの有名人への「おとり取材」から始めたそうです。
ニューズ・オブ・ザ・ワールド時代
マザ・マムードには多数の「おとり取材」の実績があります。このドキュメンタリーで取り上げているのは、例えば以下のような事例です。
エマ・モーガンのケース
1996年、当時24歳だったヌードモデルのエマ。カレンダーのモデルの仕事を鼻先のニンジンにして、彼女をスペインのランサローテ島に呼び出します。薬物取引関与のスクープ記事により、エマは住む場所や仕事を失います。
ニューカッスル・ユナイテッドFCのケース
1998年、ニューカッスル・ユナイテッドの会長フレディ・シェパード、副会長ダグ・ホールに対し「中東の “シェイク” がドバイでサッカーリーグを立ち上げようとしている」と話を持ちかけ、マルベーリャで会談する約束を取り付けます。彼らはニューカッスルの女性たちを蔑む発言、買春などを暴かれて退任します。
スヴェン・ゴラン・エリクソンのケース
2006年ワールドカップサッカーのイングランド代表監督スヴェン。彼が稼げる仕事を求めていることを聞きつけ「“シェイク” がサッカー・アカデミーをドバイに設立する」と話をもちかけます。スクープ記事によりスヴェンは代表監督を退任することに。誰でも進退について思案するものです。この「おとり取材」が暴いたのは犯罪ではないのですっきりしません。
ジョディ・キッドのケース
2007年、当時27歳だったモデルで司会者のジョディは “シェイク” に引き合わされます。ポロ選手だった兄ジャックが “シェイク” とイベントを企画しており、ファッションショーを担当するよう兄から頼まれたためです。兄の仕事の足を引っ張りたくなかったので “シェイク” らの圧力に負けてコカイン入手ルートにつながる人物に連絡をとります。スクープによりジョディは人間関係と仕事を失います。
ルビーナー・アリのケース
「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年のイギリス映画)にまつわる「おとり取材」にはマザの当時のパートナーも関わっています。子役ルビーナーの父親が彼女を売るつもりだという情報が入り、マザの指示でパートナーは “ドバイの王女” を演じます。父親たちの提示する金額は20万ポンドまで吊り上がり、スクープ記事となりました。これを契機にマザは世界的にも有名な調査報道記者となります。本件は「スラムドッグ$ミリオネア」のWikipediaの一項目としても取り上げられています。それによるとルビーナーの父親は娘の出演料の少なさについても不満を述べています。「そんな事件があったな」と思い出しました。
不法移民の引き渡し
ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙の情報収集を担当していたポール・サムライによれば、マザは同紙の上層部に入ることを願っていました。マイノリティの彼はキーマンの後ろ盾を得るため、社会問題である不法移民を多数集め、当局へ引き渡すことを考えます。マザは建設現場作業員を集める手配師を演じました。
ザ・サン・オン・サンデー時代
ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙は2000年以降、電話に不正アクセスして盗聴を行っていました。それは犯罪だと思うのですが、公に報道されたのが2009年。同紙は2011年7月に廃刊となります。オーナーのルパード・マードックは2012年2月、ザ・サン・オン・サンデー紙を発刊。盗聴スキャンダルに絡んでいなかったマザ・マムードは同紙に籍を置きます。
トゥリーサ・コントスタヴロスのケース
2013年、当時24歳だったシンガーのトゥリーサがコカイン売買に関与した疑いで逮捕されます。“シェイク” として有名になり過ぎたマザは、ボリウッドの有名映画プロデューサーを演じ、彼女に主役の話をもちかけました。トゥリーサには違法行為の片鱗が見えませんでしたが、マザはそれを見つけようとして彼女を強く誘導しました。トゥリーサと弁護団は無実を主張します。
マザ・マムード記者の行動を支配していたもの
移民の子としてバーミンガムで育ったマザは、人種差別のなかで育ちました。学校でも働くようになってからもマイノリティだったので多数派、支配者層、影響力をもつ者、有名人に対する反感やコンプレックスがあったと思われます。
国中、世界中が注目する記者になり「奴らの表向きのキレイな顔を剥がして、醜い本性を暴き出してやる」という気持ちが強かったのではないでしょうか。周囲の人たちの多くは「彼は冷酷で非道で容赦のない人物だった」と語っています。本当に冷酷かどうかはわかりませんが、一旦エンジンがかかると手段を選ぶことなく、徹底的に逃げ道を塞ぐタイプだったと考えられます。
そのやり方は心理学や経済学の実験を見るかのよう
「相手に夢を見させる。特大のニンジンをぶら下げる。そして破滅させる」とエマ・モーガンは語っています。あるいは家族の足を引っ張りたくない気持ちを逆手に取ったジョディ・キッドのようなケースもあります。
人間は得られるものが大したことがなければ怪しい提案を断ります。手に入れるために危ない橋を渡ることはしません。問題はあまりにも大きなチャンスだったり、高額のオファーだったり、釣り餌への強い執着が生まれたときです。詐欺に引っかかるのも、そういうときです。
華やかで力をもつ者たちを悪の側へ落とすことはマイノリティとして育ったマザにとって、ある種の快感を伴っていたのかもしれません。
「どの程度報酬を上げたら/圧力をかけたら要請やリスクを受け入れるか」という、あたかも社会心理学や経済学の実験のようなことを「おとり取材」で行っていたマザ。かつて彼は「どんなエサで釣ろうと罪を犯さない人もいる。特大のエサで釣られたから罪を犯しただなんてただの言い訳だ」と述べていました。確かにその通りです。
しかし、どんな人にも絶対はありません。「おとり取材」は話をでっち上げてアクションを促す詐欺行為に似ています。「自分は絶対に詐欺に引っかからない」と断言できますか?その人の判断力の問題もありますが、分かれ道となる地点は置かれた状況や追い詰められ方によっても異なってきます。
巨大なブーメランがやってきた
ターゲットに犯罪を犯すよう圧力をかけて「おとり取材」を行っていたマザに報いがやってきます。トゥリーサの裁判でマザの運転手と口裏を合わせて偽証したことが明らかになり、それまでの立場が逆転。彼らは司法妨害の容疑で起訴されます。
「世間の注目を浴びる有名人には一定のモラルが求められる。彼らは自分で選択して破滅した」と言っていたマザ。 “おまえが言うな” の状況に置かれます。マザは自分の「おとり取材」を正当化するために、どうしてもトゥリーサを有罪にしたかったのでしょう。大きな仕事を手に入れたかった芸能人やスポーツ関係者と同じです。マザ自身も「自分で選択して破滅」しました。
マザは新聞社を解雇されて地位と名声を失います。「彼には功績があった」「最後に道を誤った」と同情的な人たちもいますが、彼の「おとり取材」で人生のもろもろが壊れた人たちも、その点に関して同様だったのでは。
7カ月間の服役の後、マザは出所。彼がどこで何をしているか、知る人はいないそうです。本作ではエピソードの最後に「マザ・マムード氏にコメントを求めたが返答はなかった」と表示されるのですが、連絡先だけは判明しているということでしょうか。