原題は “Senke nad Balkanom”。「バルカン半島を覆う影」という意味です。セルビアの劇作家ステヴァン・コプリヴィツァによる戯曲をベースにしており、非常に評価の高い作品(IMDbのスコア8.9 ← これはなかなか弾き出されない数字)。ただし字幕のレベルが最低です(Amazonは確認したり校閲したりしないんでしょうか)。登場人物は多め。バルカン半島の歴史に疎いとすんなり理解できない面があるかもしれません。
しかし当時の社会の成り立ちや空気感、秘密結社の活動まで細部にわたって非常に味わい深いので、こういう世界観を面白いと感じる人にとっては引き込まれる作品。
詳細は未定ながらシーズン3の制作が決定しています。以前はシーズン2もAmazonプライムビデオの見放題対象だった気がするのですが「視聴不可」となっていましたので、シーズン1のみの紹介です。シーズン1は今のところ見られます。
物語の時代背景
ドラマは1921年のユーゴスラビアから始まります。この物語が焦点を当てているのは1920年代後半です。
冒頭のシーン、字幕では “ユーゴスラビア共和国” と書かれていますが、1918年にセルビア王国を主体としたセルブ=クロアート=スロヴェーン王国が建国された後、幾度か名称を変えています。1929年にユーゴスラビア王国となりますが、このドラマの一連の時代を通称「ユーゴスラビア」と捉えておけばよさそうです。首都はベニングラード。やがてユーゴスラビア王国は1941年のドイツ軍によるバルカン侵攻によって消滅します。
第二次大戦後の1946年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国が建設されます。現在ユーゴスラビアという国はありません。構成していた6つの共和国はスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア(コソボを含む)、モンテネグロ、北マケドニア(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)として独立しています。
この物語の前提としてロシア帝国は1917年に崩壊。内戦を経てソ連へ。シーズン1の冒頭はロシア革命で破れた白軍とコサック部隊がユーゴスラビアへやってきたシーン。
主人公テーン警部を演じたドラガン・ビェログリッチは、長い間隠匿されてきた1920~1930年代のセルビア人とマケドニア人による犯罪の歴史的事実について、こう語っています。
当時ベオグラードはいろんな人たちが交差する場所でした。移民、脱走兵、伯爵、白軍、貴族、軍隊、王室の取り巻き、女性たち。麻薬、売春、密輸、犯罪、スパイ活動の温床でした。このドラマシリーズでは、それが非常によくわかります。
Informer(セルビアのメディア)インタビュー記事より
シーズン1のあらまし
導入部あらすじ
1928年のベオグラード。ロシア系キリスト教会で司祭が殺され、祭壇の下に隠していたバッグが盗まれます。“タティより” という血糊のメッセージが残されていました。新人警部スタンコは人生経験豊富なテーン警部と組みます。ベオグラード警察は事件捜査を目的として動きます。一方、ロシアからやってきたコサック部隊は盗まれた “ロマノフ王朝の宝” を取り戻そうと暗躍します。司祭殺害に関する犯人が誰であるか、視聴者には最初から分かる作りになっています。
その後、芸術家や実業家を集めての仮面舞踏会で切断された女性の頭部が発見されます。ふたりの警部、スタンコとテーンは捜査を進めますが、新たな殺人事件が発生します。
やがてスタンコ警部は真犯人を捕らえます。その頃、テーン警部は別の場所で大変な目に遭っていました。一見すると事件は解決したかのようですが、真相は複雑で闇が深く、簡単に紐解くことができません。ロマノフ王朝の財宝、アヘン取引、権力争い、民族闘争、王室、政財界、ロシアから逃走した白軍やコサック部隊、マフィアやギャング、共産主義者、スパイ工作員、秘密結社などが事件の裏側で絡み合っています。
登場人物
このドラマは、字幕の名前が聞こえてくる音声と違っていることが多々あります。きちんと訳してほしいものです。似たような髭のおじさんが多数登場するので見分けるスキルも求められます。
とにかく登場人物が多いので重要度の高いキャラクターに★をつけておきます(結局ほとんどついています)。
ベオグラード警察関係者とその周辺
★スタンコ・プレティコシッチ : 犯罪課に配属された新人警部で法医学者。ハンサム設定。アタマはよいが未熟者。祖父ルカの家に身を寄せている
★テーン(アンドラ・タナシエヴィッチ) : 戦争退役軍人の警部。軍隊時代は大尉。戦争に行っている間に妻ソーニャは新しい夫(王室警備を仕事とするDV男)と結婚して出産
★ディミトリイェビッチ長官 : テーンらの上官。役に立っているのかどうか今ひとつわからない中間管理職
★ミリサフ : テーンの部下(髭なし。髪型がキノコ。比較的若い)。アタマがよくない。自転車で尾行する。ミラン “仕立て屋” の手下から賄賂をもらったりもする
ジボイイン&スベタ : テーンの部下(髭のおじさん2人組)。やる気満々とは言えない
トミッチ : ベオグラード警察の警部。スタンコやテーンとは別の動きをしている
バビッチ教授 : 検視官。下品なことしか言わない
★ボヤナ・アンティック : 検視官のインターン。一筋縄ではいかない女性
★プルソ : サヴァ川を渡ってオーストリア・ハンガリー軍から亡命。居酒屋店主。字幕では “プラハ” となっているが “Prso” という名前。妻ミラはテーン警部の妹。警部に頼まれてマヤを匿う
★アーチボルド・ライス博士 : スタンコ警部がかつて師事したスイスの大学教授。字幕では “リース” となったり “ライス” となったりする。秘密結社や宗教に詳しい
政府関係者とその周辺
★トゥジラック・ヴイン・ジュキチュ : 国家検事。マヤ・ダビドビッチと愛人関係にある
バイオレット・ジュキチュ : 検事の妻。コサック兵アリョーシャと浮気している
★ジヴコヴィッチ将軍 :王室警備(シークレットサービス)責任者。悪党を含めて多方面の要人がゴマすり目的で彼に面会を求める
★プコヴニク・ジョロビッチ大佐 : ジヴコヴィッチ将軍の部下
★ジョルジェ・カラジョルジェビッチ : 王子。かつては戦争にも従軍。テーン警部の上官だった。問題行動により王室から排除されてトポニカの精神病院にいる。自分のボスは “ブラック・サン” であると語る
実業界/社交界関係者
★マヤ・ダビドビッチ : 伯爵家の娘。父から引き継いだ銀行の経営に苦慮。ネガをカメラマンのネベンから預かる。意味不明の半裸のような恰好で歩くなどエキセントリック
★タキパ・パハーギ(タッキー) : マヤの銀行で経営と法務に関与。言うことを聞こうとしないマヤに手を焼く。ラヤッキー伯爵と何かを企んでいる
★コンスタンティン・アバクモビッチ : 病院経営をしている精神科医。ジョルジェ・カラジョルジェビッチ王子の主治医。白髪でロン毛のおじいさん
★クリスタ・アバクモビッチ : コンスタンティンの妻。マヤと親しい。ムスターファ ゴルビッチと浮気をしている
★ネベン・タティク : カメラマン。スキャンダラスな写真を撮影
★アブラム・ネストロビッチ : ネベンの友人の画家。マヤにアトリエを提供されている。目印はおでこと三つ編み
★アリンピエ・ミリッチ : コンスタンティン・アバクモビッチの病院へ寄付。芸術活動などにも資金援助をしているがブラックな実業家
★ラヤッキー伯爵 : 部屋の壁にはドイツの秘密結社トゥーレの紋章。ガブリエル・マクト、アリンピエ・ミリッチとの距離を縮める
大臣 : アリンピエ・ミリッチの貿易会社 “ブリザード” 設立に協力する
反ソビエト連邦勢力(白軍やコサック部隊)
★ピョートル・ウラーンゲリ将軍 : ロシア帝国の男爵で、ロシア内戦では白軍司令官のひとり。ロシア → ベオグラード → ブリュッセル → ベオグラード → ブリュッセルと移動
★ソローキン大佐 : コサック兵。ベルギーへ行きピョートル・ウランゲリ将軍に面会。財宝が盗まれたことを報告して自害する。ニーナ(ソフィア?/娘)、★サーシャ(息子)がいる
★ヒョードル大尉 : ソローキン大佐の部下で中間管理職的なコサック兵。なかなかのワル
★アリョーシャ・グルシュニツキー : コサック兵。ロシア人司祭アントン・ニジンスキーを殺害して財宝を手に入れる。警察、コサック部隊、ソ連秘密警察らに追われる
セリョージャ : ヒョードル大佐の近くにいるコサック兵。アリョーシャと顔の系列が似ていなくもない
共産主義者(工作員)
★ムスターファ ゴルビッチ : ソ連秘密警察の工作員。元黒手組(ブラックハンド)の共産主義者。ヘルツェゴビナ人。テーン警部と共にドイツと戦った。しばしば変装をするが特徴ある鼻が目印
反社会組織/スラム/秘密組織関係者
[ベオグラード市街が拠点]
★ “修道士” : タティから裏社会を引き継いだ新ボス。セルビアの政財界に食い込んでいく。側近ザビシャの9.5頭身がすごい
★ミラン “仕立て屋” : ベオグラードの悪党。髭ピンが目印。ヤタガンのトルナバッツとつながっている。ムスターファ ゴルビッチとも旧知の仲。新ボス “修道士” に従っている
スタブラ : ミラン “仕立て屋” の手下。ヤタガンにいるときは娼婦の元締めをしている
[ブコボ村(マケドニア)/ヤタガン(ベオグラードのスラム)の人たち]
★ボス(マスター)キロ : マケドニア人。ブコボ村が拠点。アヘン取引を取り仕切る。字幕が “カイロ先生” となっているが “キロ” と聞こえる。テロリストのハジ・ダミヤン・アルソフの解放の手助けを得ようと “修道士” をミラン “仕立て屋”から紹介してもらう
★バジレ・トルナバッツ : ヤタガンでアヘン取引に関与。ブコボ村のボス(マスター)キロの手下
ドブリヴォイ : ヤタガンの悪党
★アントニヘ・ミロシェビッチ(ニシキー) : ヤタガンで食堂を経営。テーン警部と親しい
★マーラ : ヤダカンの娼婦。スタンコ警部と懇意になり、生き別れた子どもを捜してもらおうとする(ある人物の子である可能性あり)
★ヨヴァナ : ハジ・ダミヤン・アルソフの姉。マケドニア人
[秘密結社/テロ組織、その関係者]
★ハジ・ダミヤン・アルソフ : 拘留中のテロリスト。内部マケドニア革命組織(IMRO)のメンバー。テーン警部とは戦友。マケドニア人
アンテ・パヴェリッチ : ハジ・ダミヤン・アルソフの依頼を受けた弁護士
★ガブリエル・マクト : フライシャー伯爵の指示でオーストリアからやってくる。ドイツの秘密結社トゥーレに所属。“ヒンダルファルム” にも関与。ラヤッキー伯爵、アリンピエ・ミリッチと手を組んで麻薬取引に関与
★ドイツの秘密結社トゥーレ : セルビア政財界、実業界の著名人がメンバー(ドラマの字幕は “ツーレ” となっているが間違い)
黒手組(ブラックハンド) : セルビア民族主義者による秘密組織・テロ組織。1903年のクーデターでセルビア国王アレクサンダル・オブレノヴィチを殺害したドラグーティン・ディミトリエヴィチ「アピス」が指導者。1916年に解散
その他
物乞いの兵士 : テーン警部の前にしばしば現われ、何かと恵んでもらっている
コサ : マヤの世話係ということになっている。レズビアンなのか娼婦なのか正体不明。マヤが自由人であることを表現するために用意された人物と思われる
シーズン1の視聴にあたって
全般にセルビアの歴史を知っておいたほうが楽しめます。
字幕はかなり適当なので、疑問に思うことがあれば自分で調べる姿勢が求められます。「てにをは」を取り違えているのでは?と思うことすらあります。
エピソード10の8分52秒のところで墓の十字架が映り「ディマ・タナシエビッチ」と字幕が出ます。「ディマ・タナシエビッチ」って一体誰ですか?記されているのはセルビア語表記で “Андра Танисијевић” であり、戦死したと思われていたテーン警部自身の墓です。
史実との関連
シーズン1は、1928年に国民議会でクロアチアの国会議員が暗殺されたことをきっかけに民族対立が顕著となり、議会が機能しなくなる頃までを描いています。
当時の国王はアレクサンドル一世。ドラマのなかではジョルジェ・カラジョルジェビッチ王子が「兄にはめられて隠遁生活を強いられている」的な発言をしています。実際にはジョルジュが長男でアレクサンドルが次男、ジョルジュは廃嫡されたというのが正しいため、史実をなぞっているとしたら “兄” は間違いで “弟” と表記すべきです。
知っておくとドラマを理解しやすくなるポイントは、ほかにもあります。
- 当時のベオグラードはアヘン貿易の大きな拠点だった
- 白系ロシア人のピョートル・ウラーンゲリ将軍もコサック部隊もアヘン取引に関わっていた(ドラマ内では、資金稼ぎのためにベオグラードで飲食店経営も行っている)
- 内部マケドニア革命組織とユーゴスラビア当局は敵対関係にあった
- ブコボ村(マケドニア)もアヘン取引に関わっており、マケドニア独立に向けて資金を提供していた
- オカルト的な黒い太陽のシンボルはドイツの秘密結社トゥーレのもの。ガブリエル・マクトの指輪のマークもトゥーレの紋章の一部
- ヒトラーの率いる国民社会主義ドイツ労働者党はトゥーレと良好な関係にあった
失われた『神器』を求めて事件が起きる
大局的にみると「0」を前提として「1」と「2」が絡み合って展開していく、それがシーズン1。
「1」の鍵になるのが、キリスト教多宗派から聖人とされているコンスタンティヌス一世の『三種の神器』的な物品(①ロンギヌスの槍、③剣、③王冠)、ヘレナ皇后のイクトゥスをあしらった首飾り。それらが後世に継承され、正教会の流れを汲むロシアへ渡ったという設定です。それらはキリストを十字架に打ち付けた楔を溶かして作られました。
『神器』は揃っていてこそ意味があります。失われたロマノフ王朝の『神器』を求めて、ベニングラードでは事件が相次ぎます。
民族問題に疎くても視聴に問題なし
このドラマは登場人物だけでなく俳優陣もセルビア、クロアチア、マケドニア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ロシアなど多国籍・多民族にわたっています。どの国・民族の俳優がどの役を演じているかも話題となりました。作品の内容や配役に対する批判的意見もあり、例えばクロアチアでは公開当初、このドラマシリーズは放映されませんでした。
すべてのセルビア人居住地域、特にオーストリア・ハンガリー帝国領だったボスニア・ヘルツェゴビナの併合を目標とした黒手組(ブラックハンド)の活動、1903年のオブレノヴィッチ5世暗殺事件、第一次世界大戦勃発につながった1914年のサラエヴォ事件などを知っていると、より深い理解が可能でしょう。しかしサスペンスものとして十分な情報量が盛り込まれているため、あえて深層に踏み込まなくても楽しめます。
島国で暮らす者が大陸の多民族社会の複雑さを的確に理解することは、しばしば困難であるというふうには感じました。