原題はペルシア語で “قهرمان”。邦題の通り「英雄」や「ヒーロー」という意味です。舞台はイランのシーラーズ。実際にあった出来事をベースにしています(ディテールは多分違います)。
冒頭にナクシェ・ロスタムの遺跡で修復の仕事をしている義理の兄ホセインを主人公ラヒムが訪れるシーンがあり、遺跡内部を少し見ることができます。私が訪れたときの記録(↓)。
ストーリーはこんな感じ
本作「英雄の証明」の監督・脚本はアスガル・ファルハーディー。彼の映画「セールスマン」は視聴したことがあります。「セールスマン」も「英雄の証明」も作品としてのレベルは高いと思います。観て損はありません。
[あらすじ]
前妻の親戚バーラムから借りた大金を返せず、刑務所の囚人となっているラヒム・ソルタニ。囚人生活に嫌気が差し、婚約者ファルコンデが拾った金貨17枚を換金して一部返済することで、貸主に訴えを取り下げてもらおうと考える。
刑務所からの2日間の “休暇” で街へ出た際、貴金属店で金貨を換金しようとする。しかしレートの変動により目論見ほどの金額にはならないと知ったこと、姉のマリに金貨の出処を問われたことから換金はせず、貼り紙をして落とし主(らしき人)に金貨を返却する。
折しも刑務所内では囚人の自殺があり、社会の関心を逸らすために刑務所側はラヒムの善行(「囚人であるにも関わらずネコババしなかった」こと)をニュースにしてイメージの回復を図ろうとする。
犯罪者や不遇な人々をサポートするチャリティ協会は「囚人であるにも関わらずネコババしなかった」正直者のラヒム、彼の息子シアヴァシュをイベントに引っ張り出して寄付を集める。ラヒムはさらに時の人になる。
出所後の仕事を探すラヒム。彼の善行を見込んで地方審議会からのオファーがある。しかし採用担当者は慎重で、ラヒムの言っている行動に嘘があるのではと疑って裏取りを行う。その過程でラヒムや関係者の大小の嘘や齟齬が少しずつ明るみになっていく。ラヒムは刑期を短縮できるのか。社会復帰して借金を返済しながら幸せな家庭生活を送ることができるのだろうか。
私自身、イランという国を旅行したことはあっても深く知らないので、映画の内容にはしばしば驚きや疑問を感じます。
[驚き/疑問の事例]
- 主人公ラヒム・ソルタニは借金を返せず、貸主バーラム(前妻の義理の兄)に訴えられて刑務所に入っている。イランでは借金を返せない(&訴えられる)と債務者を対象とした刑務所に入ることになるらしい
- 罪の内容や軽重によるのだろうが囚人は “休暇” を取得し、シャバで過ごすことができる(ちみなに “仮釈放” ではない)
- ラヒムの婚約者が金貨の入ったバッグを拾い、ラヒムの2日間の “休暇” の出来事に端を発する物語なのだが、その後の展開がもりもり過ぎて何日間にわたる話なのかがわからなくなっていく(ただし、さほど重要なことではない)
- 囚人ラヒムの善行を称えるイベントが開催され、彼の息子シアヴァシュ(うまく発音、発語できない障害がある)も舞台にあがって父をサポート。そこで集まった寄付がラヒムの支援に充てられる。物語が進行するとさらに明白になっていくが、最も気の毒だったのはこの息子ではないだろうか
大金の貸主バーラムの発言がいちいち「ごもっとも」
それぞれの思惑のなかで囚人ラヒムを持ち上げる人たち。それに乗っかる形で服役からの早期釈放を目論むラヒム。一方で一見すると憎まれ役の大金の貸主(債権者)バーラムですが、彼の主張はしごくまっとうです。ラヒムや刑務所長、チャリティ協会の人たちの主張は虫がいい気がします。
(ラヒムのしたことが善行だと社会やあなたがたは言うが)拾った物を持ち主に返すなんて誰でもする。ラヒムより困っている人は世の中に大勢いる。彼らは何も盗まんが、それは偉いことか?他人を侮辱したことのない私は表彰されるのか?過ちを犯さないことが、なぜ評価される?
私だって3年前、家族だったこの男のために高利貸しに保証の小切手を渡した。彼が返済不能になった時も負債と利息は妻の宝石まで売って私が払った。それが今じゃ彼が英雄で、私が悪徳債権者か。娘の持参金まで使ったんだ
バーラムは、いつも不機嫌そうな顔をしています。それゆえに人好きのするタイプではありませんが、かなりまっとうなことを指摘しています。
なお、彼の店があったのはシーラーズのバザールなのでしょうか?ちょっとだけ気になります。
損得勘定に清らかさが射し込む人間という生き物
借金を返すことはできないけれど刑務所生活をこれ以上続けたくないラヒム。ラヒムの善行をアピールして刑務所のイメージを向上させたい刑務所長たち。世に打って出て犯罪者やそ不遇な人たちの前途に光明をもたらしたいチャリティ協会。
それぞれが自分たちの都合をメインに考えています。そのなかで、みんなに不利益をもたらさない発言をしようとする息子のシアヴァシュ。「お父さんを窮地に立たせたくない」彼は自分のエゴより周囲の望みを優先しています。彼にエゴがあるとしたら「お父さんに見放されたくない」といった類いの切ないものではないでしょうか。
金貨(というかバッグ)を自分の所有物であるとした人物も、本当のことを言っていたのかどうか。そういうアクションを取らざるを得なかった理由があったとは言えますが。その人物はラヒムの “一見ラクな道” を破壊し、彼に “遠回りに見える道” を選択させます。その人物も自分たちのことだけを考えていてラヒムたちを助けるつもりは毛頭なかったはずですが、結果として、より建設的な方向へと陰から導きました。
人間(特に大人)は目先の損得やエゴに振り回されるものです。しかし人間とは不思議なもので、ある瞬間にサーッと光が射し込み良心が起動します。文明やテクノロジーは進化しても人間は成長しません。しかし不意に光が射します。それを見事に表現した映画です。