少し前にアメリカの映画「モンタナ・ストーリー」について書きました。同作はヒューマンドラマに分類され、テーマは “家族のトラウマ” とのこと。観る人によってはジーンとくる内容だったかもしれません。
今回取りあげるドラマ「ゼム」(原題:THEM)は “家族のトラウマ” をホラー仕立てにしたかのような作品です。Amazonオリジナルで新作ではありませんが(※シーズン1)、連休などのまとまった時間に視聴するのに向いています。
本作の魅力
私が本作に惹きつけられたのは以下のような要因からです。
- アメリカの黒歴史(植民地時代や奴隷制を経て根付いた差別意識)が人々の深層心理に埋め込んできた憎悪と恐怖をホラーの世界と結びつけている
- 登場人物たちの内面に埋め込まれた憎悪と恐怖の種子は、属する集団内で無意識のうちに共有されている
- 何かが引き金となって説明のできない恐怖、怒り、考えに囚われると同時に、それらが他のメンバーに伝播していく
- “非実在の存在(人々の観念や想像のなかにいる)” が実在の人間たちの行動や意思決定に影響を与える。それらの “非実在の存在” は姿を変えた自分自身であり自分の影、あるいは集合的無意識における元型的キャラクターなのかもしれない
上記は私個人の解釈に過ぎませんが、単なるホラーよりは奥の深い作品。
超常的な怪奇現象も元を辿ると人間の精神活動が創り出していて、人間の精神活動がなぜそんなことをしでかすかというと “人種差別などに代表される集団的トラウマ”、“家族問題で生じたトラウマ”、“家系に流れる因縁” が種子として個々人の内面に埋まっているからだと思います。
引き金になるもの(=種子に水を与えるもの)が出現することで、自分のなかにあるとは思っていなかった “何か” が蠢き始めます。心の傷、恐怖、怒りなどが絡み合うことで、この世の道理では辻褄のあわない世界が出現。そのきわどい臨界点が非常にうまく表現されているので、このシリーズは私のなかでは秀作です。
各シーズンのあらすじ
「ゼム」にはシーズン1と2があり、サブタイトルを含めるとシーズン1は「THEM: Covenant」(契約)、シーズン2は「THEM: The Scare」(恐怖)。
アメリカ社会の人種問題の一部をおさらいしておきましょう。
- 1861年~1863年:南北戦争 → アメリカにおける動産としての奴隷制が終焉に向かう。1863年1月1日のリンカーンによる奴隷解放宣言が有名
- 1865年12月:アメリカ合衆国憲法修正第13条の批准が成立 → 1863年のリンカーンの宣言をもって奴隷制度が終わったわけではなく、州ごとに逐次解放されていき、最後にケンタッキー州の奴隷約4万人が解放された
- 奴隷制度がなくなっても黒人(アフリカ系アメリカ人)への差別は続く
- 1916年~1940年:アフリカ系アメリカ人の大移動 → プランテーションのヒエラルキーにおいて小作人という低い位置から上がることを許されなかった人々が新天地を求めた
- 1940年~1970年:アフリカ系アメリカ人の第二次大移動 → 活況の軍需関連産業に職を求めて北東部、中西部、西部の都市に移住する人々が相次いだ。シーズン1は、この時代が舞台
シーズン1「THEM: Covenant」(契約)
1953年の10日間の物語(エピソードのひとつひとつが濃く、過去のシーンも含まれるため長く感じられるものの実は10日間の出来事)。第二次大移動によってノースカロライナ州チャタム郡からロサンゼルスの白人居住区コンプトンに引っ越すアフリカ系アメリカ人のエモリー家を描いています。
<エモリー家>
- リヴィア・”ラッキー”・エモリー:主人公。ヘンリーの妻。ルビー・リー、グレイシー・ジーン、チェスターの母。元教師
- ヘンリー・エモリー:リヴィア(ラッキー)の夫。戦争でPTSDを患った。当時の黒人としては職業的、経済的に成功している
- ルビー・リー・エモリー:リヴィア(ラッキー)とヘンリーの長女。成績優秀だが、白人ばかりの高校へ転入したことで孤立感を募らせている
- グレイシー・ジーン・エモリー:リヴィア(ラッキー)とヘンリーの次女。幼稚園児。霊感が強く、イマジナリーフレンドのミス・ヴェラがいる
- チェスター・エモリー:リヴィア(ラッキー)とヘンリーの長男で赤ん坊
- サージェント:エモリー家の犬
ノースカロライナ州の牧歌的な環境の中で暮らしていたエモリー家。ある日、奇妙で不気味な白人の高齢婦人たちがやってきて、その日を境に家族の状況が一変します。
その後、カリフォルニア州の新居に向かうエモリー家は成功した人たち特有の勝ち組のムードに包まれています。しかし実は彼らには、過去の忌まわしい出来事によって抱えることになった闇がありました。
白人居住区コンプトンの住民たちは黒人のエモリー家を毛嫌いし、彼らがしっぽを巻いて出ていくように嫌がらせを始めます。
自分たち黒人が歓迎されていないことをひしひしと感じるエモリー家。白人たちのあからさまな敵意と差別意識に晒されるストレス(“自分たちが黒人であることから生まれたトラウマ”)によって、過去の出来事で生じた “家族のトラウマ” が刺激され、主人公リヴィア(ラッキー)や彼女の家族は精神的に追い詰められていきます。
そして不思議なことが起こり始めます。どこまでが実際にあったことで、どこからが妄想や幻覚なのか、境界がわからなくなっていきます。
シーズン2「THEM: The Scare」(恐怖)
1991年のロサンゼルスが舞台。『冷戦終結後』『湾岸戦争』『ソビエト連邦の崩壊』『米国の暴力犯罪率が過去最高』などがトピックだった時期です。世界の勢力図が書き換えられ、価値観はさらに多様化、アメリカ社会も大きな変化の波に揉まれていました。
アフリカ系アメリカ人であるロサンゼルス市警のドーン・リーヴ刑事は、里親として多くの子どもたちを養育してきたバーニス・モットがむごたらしく殺害された事件を担当することになります。ドーンの上司は相棒としてロバート・マッキニー刑事を配置(後にホアキン・ディアス刑事と交代)。そして同一犯によるものと思われる連続殺人が起きます。
事件の真相に近づこうとすることでドーンは自分の家族の闇に触れることとなり、家族とともに “ある存在” に翻弄されるようになります。
<リーヴ家>
- ドーン・リーヴ:主人公。ロサンゼルス市警、強盗殺人課の刑事(巡査部長)。ケルヴィンの母
- ケルヴィン・リーヴ:ドーンとミュージシャンの元夫コリーの間に生まれた息子で高校生
- アテナ・リーヴ:ドーンの母
- ウイリアムー・リーヴ:アテナの夫。ドーンの父。元警官
後半でシーンは1989年となり、重要な出会いが明るみに出ます。それまで並列的に展開していた別々のストーリーが実は同時期ではなかったのだと視聴者が気付くであろう点も印象的です。
シーズン1と2はタイプが異なっている
よりホラーらしいのはシーズン2
私の場合、シーズン1にはアメリカ中西部が舞台の「FARGO/ファーゴ」的テイストを感じてしまいます。その理由を考えてみますに、①アメリカっぽい時代感、②理不尽でできている野蛮な社会、③家族を基盤とする物語、④人間に潜む狂気がいろんな形で噴出、といった共通点が思い当たります。さらに深層心理、集合的無意識、元型的キャラクターなど、ユング的な枠組みを強く感じさせることから、シーズン1はホラーというより人間の精神構造のグロテスクさを堪能するタイプの作品と思います。
シーズン1と2には時を経たつながりがあります。シーズン2でドーン刑事を演じているのは、シーズン1でリヴィア・”ラッキー”・エモリーを演じたデボラ・アヨリンテ。ドーンの生母がシーズン1におけるラッキーの長女ルビー(シャハディ・ライト・ジョセフ)。女優たちの母子関係が逆転して、異なる時代に登場します。
“家族問題で生じたトラウマ”、“家系に流れる因縁” が捻じれたロープのように後世に継承されていく様子は輪廻転生的世界観を感じさせます。
シーズン2も面白いですが、私はシーズン1に他にはない個性を感じます。
人間の内部にあるものが現象化する
「ゼム」はホラー作品なので、人間の精神活動が生む異常なあり方や行動だけではなく、超常現象・知覚異常(幻覚や幻聴)・憑依現象も登場します。
あくまでも個人的な体験に基づく感覚ですが、どんな人にも亡くなった人の霊、生霊が憑くことがあります。そういった存在は、ちょっとした隙に人間のスペースや思考のスキマに滑り込んできます(それに気付くかどうかは、かなり人さまざま)。自分に湧き起こる思いやアイデア、感情、衝動などのすべてが自分由来とは限りません。「なんだかラーメン、食べたいな」という気持ちは本当にあなた自身のものでしょうか。
個人の枠を超えて集団で共有している意識があるため、思考・感情などの何かが伝播したり、先祖の体験が後世の子孫たちのなかに生き続けたりします。自分のなかにある既知/未知の何か(先天的/後天的にもっている型枠みたいなもの)にふさわしい情報を受け取りながら人間は生きています。人と人とが引き寄せあったり(「類は友を呼ぶ」)反発したりするのは(「水と油」)、それぞれが保有している “何か” のなせる業です。
たとえばシーズン1では、血のつながりがなくとも黒人というカテゴリーにはるか昔から残存している記憶や体感があり、白人というカテゴリーのなかに脈打ち継承されている記憶や体感があることをベースに物語が進行していきます。
シーズン2の冒頭に “恐怖とは悪の予知から生じる苦痛である” というアリストテレスの言葉が引用されています。人は知らないものを予知することができません。“悪の予知” とは何によってなされるのでしょうか。私たちの内部にある型枠(それぞれがもっているカルマ、叡智、記憶)を通してです。人間の認知システムの一部である型枠には経験やDNA、第六感や霊感が関わっています。
シーズン1は特に奥が深いので、ぜひご覧ください。