これは鉄道運転士の映画なの?セルビアの「鉄道運転士の花束」

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国際映画祭で多数の賞を獲得した2017年のセルビア映画。監督はミロシュ・ラドヴィッチです。政治やイデオロギー、戦争などから離れた作品を念頭に置いているそうで、監督の祖父がかつて鉄道運転士であり、列車で何人も人を轢いたという背景があるようです。しかし「鉄道運転士の花束」(原題 “Dnevnik masinovodje” )を鉄道運転士の物語というふうに、私は感じませんでした。

こんな感じのストーリー

引退が近い、ベテラン鉄道運転士イリヤが、前途に絶望して自殺を目論んでいた10歳の孤児シーマを線路上で救い、養子として育てます。シーマは養父イリヤと同じ鉄道運転士になるのが夢でしたが、イリヤは強く反対します。

親父と俺は53人の人間を殺した。男が40人。女が13人。じいさんの分も加えれば66人殺したことになる。裁かれたことはない。罪はないからな。

鉄道運転士イリヤの言葉

鉄道運転士は、人身事故と無縁ではありません。イリヤのように見知らぬ人を始め、友だちの子どもサシャを轢き殺したり、最愛の恋人ダニツァを轢き殺されたり、そういった過去の苦しみをいずれ抱えることになります。かつて鉄道運転士で、人身事故をきっかけに精神面に異変が起きて職を変えた人の話を聞いたことが、私にもあります(事故の前後で人が変わったらしいです)。

この映画の鉄道運転士たちは、私生活においても車両で暮らす隣人同士であり、それぞれが身近な人について “轢き殺し、轢き殺された” 間柄だとしても、友情を維持し、助け合って暮らしています。

養父イリヤの大反対はありましたが、最終的には彼によって鍛えられ、シーマは鉄道運転士となります。

強くならなきゃいかん。人を轢くんだから。親に捨てられたから何だ。要らない子だったから何だ。自殺未遂が何なんだ。

鉄道運転士イリヤの言葉

お祝いの席で、先輩運転士たちの体験談を聞きます。「俺は21人の人間を轢いた。女が8人。男が15人(23人だろ?)23人だ」「だが俺は働き続けた。そういう仕事だ。最初は悪夢を見るが、じき慣れる。自分は悪くないと気づくんだ。運命だったとね(仕事の一部だ)」等々。

早く最初の事故が済むといいな。気が楽になるから。乾杯!

先輩鉄道士のシーマに向けた言葉

ベテラン運転士イリヤには、かつて深く愛した女性ダニツァがいて、彼女も列車(運転していたのはイリヤではない)に轢かれて死んでいます。養子シーマに対して常に厳しく接し、気持ちと裏腹の態度をとってきたイリヤ。心の拠り所を求めてバランスを取ろうとする精神作用によるものか、シーマが自立していくにつれ、死んだはずのダニツァの幻影を見るように。幻の彼女と食事をしたり、ともに過ごしたりします。

シーマは鉄道運転士として働き始めますが、いつか経験することになる人身事故に怯えるあまり、半年後には睡眠不足の酒浸りとなっています(事故を起こすよりいいし、そういうタイプの悩みもあるんだなあ、と意外な感じがします)。シーマの苦悩を目の当たりにしたイリヤは、彼によって最初に轢かれる役割を請け負うことを決め、線路に身を横たえます。

かつての恋人ダニツァを長年忘れることができなかったイリヤ。精神面のサポートをするヤゴダと親愛の情に満ちた関係があっても、仲が先に進むことはありませんでした。しかし映画の最後には、進展が感じられる描写があります。

息子と俺は35人の人間を殺した。男が19人。女が16人。親父とじいさんの分も加えれば、75人殺したことになる。俺たちに罪はない。でも、お悔やみを。

鉄道運転士イリヤの言葉

人身事故を起こした鉄道運転士は、職場復帰に向けてのカウンセリングを受けるようです。事故の様子について説明を求めた男性と若い女性の臨床心理士たちのほうが、詳しい描写を聞いて調子を崩してしまい、イリヤが混乱した彼らをカウンセラーのように導くシーン、鉄道事故被害者遺族に対して「私は悪くないが、心からお悔やみ申し上げる。仕方なかったんだ」と花束を贈るシーンなど、セルビア流のブラックユーモアが盛り込まれています。日本では制作できないタイプの映画です。

この映画の魅力と不思議

  • 駅舎などの建物、自然景観が美しい。東南欧風とでも言うのだろうか。一方で、ゴミが多数浮遊した川で水浴びをするシーンもあり、あえて汚い場所を披露する意図についてはよく分からない
  • 駅舎も機関車も古びているので、一体いつ頃の話なのだろう?と思うが、携帯電話で音楽を聴くことができているし、2017年の映画なので、比較的最近までセルビアとはこんな感じだったのかもしれない
  • 鉄道運転士たちの暮らす居室、心理カウンセラーのヤゴダのクリニックなど、車両車庫のようなところにある食堂や庭、車両を改造した部屋は一見の価値あり。「こんなふうに暮らすことができるんだ」と目ウロコ(暮らしやすくはないかもしれない)
  • 鉄道会社による管理体制が緩く、かなり好き勝手な仕事の仕方が許されている。飼い犬やガールフレンドが運転席にいる。経験のないシーマに機関車の運転を任せて、どこかへ消えてしまう運転士もいる。現実に、そういうことが認められているのかどうかは不明
  • 養父イリヤは25年前に恋人ダニツァを鉄道事故で失って以来、悲しみの感情を解放しておらず、しかめっ面で不機嫌そうな頑固親父だが、なぜか養子シーマは感情表現が豊かで、自分の気持ちを抑えない(鉄道学校の卒業式で、父兄席にいるイリヤに向かって笑顔で手を振るなど)。養父が “ああ” な割には、屈折することなく素直な青年に育っているのが不思議
  • 初乗務の前に先輩に騙されて運転席へ行くと、そこに女の子がやってきて初体験の手ほどきをする、という習わしがある。“この映画の魅力” というより「なんじゃ、それ?」な部分
  • とりあえず、本来深刻であるはずのことに対し、深刻さで表現しようとしていない

「鉄道運転士の映画に見えない」私の理由

鉄道運転士や、その家族からすると、かなり「うん、うん」と頷く映画のようです。私にはそういうバックグラウンドがないので「鉄道運転士の花束」という映画が、鉄道運転士をメタファーとした戦争の話に見えます。

最初のひとりを轢くまでは恐怖に怯えているけれど、そこから先は腹が座る感じとか、初仕事の前に周囲の計らい(なのか?)で童貞卒業とか、“列車を運転すること” が仕事であるにも関わらず、大人の男として、あたかも戦地へ赴くみたいではないですか。

  • 任務遂行にあたり、早い時期に超えておいたほうがよい、大きな壁がある
  • 自分が殺すことになるのは、知らない人かもしれない、自分の身内かもしれない、友人の家族かもしれない。でも仕方がない。それが運命だ
  • 殺すつもりがあって、殺したわけではない
  • 自分たちの仕事とは、すなわち、そういうものだ

「私は悪くないが、心からお悔やみを申し上げる」という遺族への態度も、任務で人を殺すことになった兵士を見ているようです。

コメディタッチで進行するストーリーですが、旧ユーゴスラビア連邦であり、今なお民族紛争を抱えているセルビアを “鉄道運転士” という切り口から表現しているように、私は感じました。

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