逃れられないものから逃れたかったのだろう―映画「コントロール」で描かれたイアン・カーティスについて

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1970年代半ば、イギリスを中心に一世を風靡したバンド「ジョイ・ディヴィジョン」。そのボーカル、イアン・カーティスの17歳頃から23歳の自殺までを描いた作品で、妻デボラの視点からの記録が基になっているようです。全編モノクロ作品。

バンドのマネージャー役トビー・ケベルや共演者について

本題に入る前に、本作で「ジョイ・ディヴィジョン」のマネージャーを演じているトビー・ケベルについて触れておきます。

エジプトとイスラエルをスパイ活動によって和平に導いたという、実話に基づく映画「コードネーム エンジェル」で、モサド捜査官ダニー “アレックス” を演じていたのがトビー・ケベルです。

実話に基づく映画「コードネーム エンジェル」は謎を残す
エジプト旅行は機内からU.F.Oを見た話、バザールで現地男性にしつこくされた話など奇妙な話ばかりで評価が微妙。それで終わっては気の毒なので、イスラエルとの関係を和平に導いた政府高官によるスパイ活動(実話)の映画を取り上げます。

近年、私が観るような映画・ドラマでは見かけませんが、魅力あるイギリスの俳優です。彼の2004年のスクリーンデビューはセンセーショナルでした。イギリスの映画「Dead Man’s Shoes」において当初予定されていた俳優の降板により、わずか3日間の準備で自閉症のアンソニーを見事に演じたのです(アンソニーは友人らによって虐待され、殺される。それを知った彼の兄が復讐していく物語。海外での評価は高いにも関わらず、各種のコードに引っかかるのでしょうか、日本ではまったく取り上げられなかった作品。私はYouTubeで視聴しました)。そして2007年の本作「コントロール」において「ジョイ・ディヴジョン」マネージャーのロブ・グレットン役で英国インディペンデント映画賞助演賞を獲得。

映画全体としては評価が分かれた作品ですが(イアン・カーティスがなぜ自殺したのかが描き切れていない、という声が大きい)トビー・ケベルの演技は素晴らしく、見ごたえがあります。

サム・ライリーやサマンサ・モートン、後にサム・ライリーと結婚したアレクサンドラ・マリア・ララなど、顔触れも充実しています。特典映像で知ったのは、妻デボラ役のサマンサ・モートンの初日が、夫イアン・カーティスの自殺現場発見シーンの撮影だったということ(彼女は車に子どもを待たせ、玄関から家に入る。家の中から悲鳴と叫びが聞こえる。茫然自失で戸外へ出る。子どもを抱いて涙ながらに誰に対してでもなく助けを求め続ける。家の中は一切映らない)。既に映画を観ていた私は「えっ?あのシーンから撮影が始まったの?」と思いました。女優さんってすごいと思いましたし、彼女の実力を示すエピソードとも言えます。

早すぎた結婚。一方で前進していく「ジョイ・ディヴィジョン」

1973年の英国マックルズフィールド。イアン・カーティスは高校生で、デヴィド・ボウイやジム・モリソンを好んで聴いています。不正な手段で薬物を入手して試したりもしています。当時憧れたミュージシャンたちに倣って “トリップ感” を味わいたかったのでしょうか。彼は友人ニックのガールフレンドのデボラと付き合うようになります。彼女はイアンの詩的なところに惹かれたふうに描写されています。

19歳でデボラと結婚。彼は公務員となり、障害者のための職業安定所に勤務します。熱心な仕事ぶりだったそうで「ジョイ・ディヴィジョン(当初はワルシャワ)」スタート以前のことです。イアンはバンドの成功を目指し、大金を自主制作レコードに投じます。一方で妻のデボラに「子どもを作ろう」と言います。彼女はイアンのバンド活動に一抹の不安を感じており、彼の「子どもを作ろう」発言は妻を安心させ、バンド活動への協力的態度を引き出すためだったのでは、と思います。

「ジョイ・ディヴィジョン」の積極的な活動と音楽性がロブ・グレットンの目に留まります。ロブは、自分をマネージャーにすれば1カ月でレコード契約を取ってやると売り込みます。そしてファクトリーレコードとの契約に漕ぎつけ、ロブをマネージャーとした「ジョイ・ディヴィジョン」はさらに前進していきます。

“てんかん”発作と愛人アニック・オノレ

しかし順風満帆だったわけでなく、ロンドンでの初ライブの観客は30人程度。落胆したイアン・カーティスは帰路の車の中で “てんかん” の発作を起こします。それ以降、しばしば発作が起こるようになり、彼の悩みのひとつとなります。数種類の薬の服用を医師から指示されます。

“てんかん” は18歳以前の発病が80%以上と言われているので、そのとき22歳のイアンは少数派だったと推測されます。“てんかん” の原因は一般に “脳内の激しい電気的乱れ(過剰興奮)” とされています。ステージ等でのパフォーマンスで脳に興奮が起き、心的動揺でさらに電気信号が乱れる、そんな感じだったのかもしれません。

イアンは薬の副作用か、夜のバンド活動のためか、公務員としての就業中に居眠りをするようになり、上司から進退を考えるよう言われます。また、以前相談を担当した “てんかん” 患者に様子伺いの電話をしたところ、彼女が発作で急に亡くなったことを知らされます。イアンの心は乱れます。

バンドがヨーロッパツアーを行うようになると、イアンと妻デボラとの心的距離は遠ざかっていきました。「子どもを作ろう」と言った彼の望み通り、彼女は妊娠。「ジョイ・ディヴィジョン」やボーカルとしてのイアンから距離を置かれていて疎外感があったように描かれています。イアンはバンド活動に専念するため職安を退職。妻は出産後、家計を助けるため、娘を親に預けて働きに出ます。

イアンはベルギー女性アニックと出会います。彼女は音楽ビジネスに関わっており、彼とはバンド公認の愛人関係となります。イアンが音楽活動と浮気に勤しんでいた頃、妻デボラは働きながら赤ん坊の面倒をみていました。

独占欲の強かったイアンが「ほかの男と寝ていいよ。僕は気にしない」と言うようになり、「もう私のことを愛していないの?」と問う妻に「多分そうだ」と答えます。妻は夫の所持品から、浮気相手アニックを突き止めます。

妻に問い詰められたイアンは、涙ながらに「君に恩を感じている。愛している。アニックとは別れる。許してくれ」と言います。しかしアニックと別れることはありませんでした。

イアン・カーティスはなぜ自殺したのか

イアンは1980年5月18日の自殺に先立ち、自殺未遂を起こしています。4月7日のことです。”NO NEED TO FIGHT NOW. GIVE MY LOVE TO ANNIK. IAN” というメッセージを妻デボラに残し、てんかん治療薬を大量に服用。

自殺未遂の前後、しばしばさめざめと泣き崩れ「みんなに憎まれている」「以前はうまく行っていたのに」「僕のせいだ」と自分を責めます。

映画を観る限りにおいて、自殺に及んだ背景にあるのは以下のようなことです。

  • ベースにあるのはメンタルの病。“てんかん” に対して処方された薬の副作用と鬱
  • ミュージシャンを目指す青年とはそんなものかもしれないが、刹那的な思考と行動(友だちのガールフレンドに手を出す、結婚の決断が早すぎる、自分からプロポーズしておきながら結婚生活に早々に退屈する、「子どもを作ろう」と言ったのは自分でありながら生まれた子どもに関心がない、後先考えずにアニックと愛人関係になる) ⇒ 双極性障害もあったかも
  • メンタルを病んでいるので、起きることを自分に結び付けて被害妄想に陥る ⇒ 被害妄想の裏返しが自責
  • 突然起きる “てんかん” 発作が、今後のバンド活動の障害になることを恐れている
  • 自分の思考や行動に責任をもち、始末をつけられるほど人間として成熟していない。しかしミュージシャンによく見られる「無責任でやりたい放題」に徹することもできない(自我が弱い/不安定、自尊感情に欠ける)

まとめると原因は「器質(薬の副作用を含む)+気質+急激な環境変化」。もともと病みやすいタイプで、やっぱり病んだ、そういう感じに見えます。

イアンのメンタルを安定させ、長生きしてもらいたいならば、彼をしばらく静養させるべきでした。しかしバンドは人気を拡大、アメリカツアーも決定。人気商売は時の運に乗ることが重要なので、追い風の今を逃したくないムードがバンドや周辺にあったことと思います。それがさらに彼を追い込みます。

年を取ったからか、共感皆無

私は子どもの頃から洋楽が大好きで、イギリスのロックも聴きました(今もときどき聴きます)。18~25歳までバンド活動をしていました。そういう人間としての感想です。

「誰かがこの夢を奪い去り、来るべき日を指し示す。内なる人格同士の闘い。あらゆる真実を捻じ曲げる。僕を呼び続ける」とイアン・カーティスは歌っていましたが、真実とは何か。本人にも分かっていなかったと思います。分かっているのは「今の状況から逃れたい」というモヤモヤだけ。

すぐに退屈するのに早くに結婚し、面倒をみる覚悟もないのに子どもをもち、詞を書き歌うことで注目を集め、バンド公認の愛人に溺れて妻との三角関係にグダグダ迷い、すべての根底には「今から逃れたい」というドライブがあったのだろうと推察します。

妻のデボラには「君を傷つけたくない」と言い、片や愛人のアニックには「4~5年前の過ちでこんな気分になるなんて」「君を愛している」と言う。4~5年前とは恐らくデボラとの出会いや交際を指しているのでしょう。双方に「僕が悪かったんだ」と言い、その場しのぎの言葉を垂れ流す。病気だから仕方ないのかもしれませんが、見事なまでの “クズ男”。悪い意味での “ナイーブ” です。

文脈から推察してアニックにあてたものと思いますが「僕は苦悩する。自分が信じていることと、人々の目を通したゆがんだ真実の間で。心を持たず、違いもわからない人々…」と書き記していました。この手のメンタルの幼さが紡ぎ出す言葉には、何か深遠なものが隠されていそうで(そしてほんの少しだけ真理が含まれていて)若かった頃ならば私も魅力を感じたかもしれません。しかし年を取った今は、自己探求が浅くて思索レベルの低い若者の戯言にしか聞こえません。

そして再び妻を呼び出し「離婚しないでくれ。君を失いたくない」と言います。もう支離滅裂。デボラかアニック、どちらかひとりしか選べないことくらい分からないのかね。どちらにもいい顔をして、どちらとも良好な関係を築くことは無理。「アニックと別れられないでしょ」と言う妻デボラに「上手くいかないんだ。彼女が消えてくれなくて」と言うイアン。「決意したのね」と言うデボラに突如激高し、彼女を話し合いの場から追い出します。とんでもない馬鹿でないとしたら、メンタルを大いに病んでいるから、このような行動に出たのでしょう(←常に結論はここに落ち着く)。

イアンは苦悩し、何かと書き連ねはしますが、どれも「自分 ⇒ 他者と人生の被害者」という視点です。自殺に至ったことはお気の毒と思いますが、病んだ人の映画を観るのは疲れるわ(実は結構以前に特典映像が観たくてDVDを買っている)。

自殺の前、かつては無垢だった愛を懐かしむようなことを書き留めていました。残酷なことを言うようですが、周囲や他者の変化/無理解を嘆く以前にイアン自身のなかに愛がなかったね。

「すべての出来事が僕にではなく、僕の振りをする誰かに起きているみたいだ」

映画の前半に出てくるイアンのモノローグ。ある意味でその通り。彼はイアンを上辺で生きていたので、物事は “僕の振りをする誰か” に起きています。“てんかん” 発作とは一生付き合っていかねばならないだろうし、バンドが上手くいくようにしなければならないし、妻と子をどうするか考えねばならないし、愛人の気持ちをつなぎ留めたいし、いろんな手枷足枷が “僕の振りをする誰か” を作り上げ、未来における逃れられない不自由さを約束しています。それらを処理するのに必要な能力は、23歳だった彼のキャパシティを超えていました。

イアンは “僕の振りをする誰か(この世的な各種の不自由さ)” から逃れたかったのかもしれません。しかし “本当の僕が分からない” という『逃れられない事実から逃れたかった』というほうが妥当な気がします。周囲の観ている世界と自分の世界は違う、というのは他者のせいにもできますが、自己探求と自己理解は完全に自己責任の領域です。メンタルの病気を差し引いても、映画のイアン・カーティスは自己責任の領域をとにかく回避したかった(見つめたくなかった)人に見えました。

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