「カリートの道」にみる日々の小さな選択の力

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30年の懲役刑であったのを、弁護士の力で5年で出所できた元麻薬王カリート(アル・パチーノ)。出所後は麻薬取引や人殺しから足を洗い、かつて悲しませた恋人とヨリを戻すことを目論んでいます。

知人からレンタカービジネスを買い取り、バハマで暮らそうと考えますが、ビジネスを継承するためには先立つお金が必要です。やむを得ず、昔のビジネスに近いところで(でも昔のビジネスではないことをして)お金を稼ぎ、数カ月後にはバハマに飛ぶことを計画します。

カリートは麻薬にも殺人にも既に関わりたくありません。これを機会に生まれ変わりたいのです。

しかし旧知の人たちの多くは、その筋の人。無意識的なものであれ、彼を元のポジションに引き戻そうとします。

カリートは研ぎ澄まされた、闇の世界を生き抜いてきた勘が発動して行動に移すたび「オレは昔のオレと同じことをしている」と自覚し、以前のような選択をしない心がけをもとうと努力します。

5年で出所できたことの「借りを返す」ために、カリートは意に反してマフィアのボスの脱獄を手伝うことに「なってしまいます」(そのプロセスでボスとその息子が殺される。これは想定外の出来事)。

「なってしまいます」とは書いていますが、その状況に自分をもっていったのは彼自身、彼のひとつひとつの選択による結果です。気の毒とも言えますが、一方ではまるで気の毒ではなく自由意思・自己責任の世界を表現しているに過ぎません。

カリートが検察の提案する司法取引に応じれば、もっと違う展開になったのかもしれません。しかし「借りを返すのがオレという人間だ」と恋人に言い放ち、残った仕事を片付けたら列車の駅で待ち合わせ、一緒にバハマに飛ぶことを約束させます。

既におわかりと思います。かつてとは別の人生を望むのであれば、その当時の「これがオレという人間だ」に基づいた選択をしていてはダメなのです。

しかし周囲の人間が、恋人を除きどこかしら黒い人たち。かつての仲間との信義を大切にするカリートにとっては、彼らの求めに応じざるを得ない場面が出てきます。

そのなかで危機に陥ると、その道で鍛えられた、戦いや逃走や駆け引きのスキルを自動的に使ってしまいます(引退したいと考えているが本気を出せば強いのである)。

決断をしなければならない場面で「これがオレという人間」というこだわりを捨てることができません。

結果としてカリートは、恋人が待つ列車の前で新興のマフィア(?)に殺されます。生まれ変わったように新しい人生を送ることを望み、彼なりに努力をしました。でも及びませんでした。

恋人との関係性などを見ていても、性根から悪い人間には感じられないカリート。しかしそれが小さな選択であっても、昔と同じパターンを知らず知らずのうちに積み上げていたら、最後に待つのは「追われての死」であり新たな人生ではないことくらい、心のどこかで予想がついていたはず。気の毒な話とは思うけれど「こうなるのも仕方ないよね(もっと言えば当たり前)」というのが感想です。

決心が大きくても、日々の選択は小さいことの積み重ね。人生を変えたいと思うのならば、細かな選択ほど「それまでの自分の価値観を基準としていないかどうか」を自分に問うほうがよいと思います。

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