「インディアン・ランナー」にみる無価値観と受け取り下手

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「インディアン・ランナー」という、ショーン・ペン監督による1991年制作の映画を観ました。ブルース・スプリングスティーンの “Highway Patrolman” を基にしているそうです。兄弟の関係性をベースにストーリーが進行します。兄を演じているのはデヴィッド・モース、弟を演じているのはヴィゴ・モーテンセン。

兄は実直な警察官で家族思いの、恐らくは「慈悲深い人」。弟はヤンチャを通り越した不良であり、ベトナム戦争に出征しPTSDを患った状態で帰国。言ってみれば「病んだ人」。

弟と両親の関係は戦争に行く以前から良くなかったようですが(不良だしね)、小さな頃から兄弟仲はとても良かったようで、ベトナムからの帰還時にも弟は兄にだけは会いにやってきます。

弟は戦争によるPTSDということになっています。しかし出征する以前から破滅型のイッちゃった人だったのではないかと思います(戦争の前と後で、程度の違いがあるだけ)。

彼はかなり病んでおりますが、一般的な人間と実はそんなに変わりがないということを感じさせます。

  • 愛されること、幸せになることを怖れる(自分には価値がないと思い込んでいる)
  • とんでもないことをいろいろとしでかす。問題行動のベースには両親に対する罪悪感がある
  • 傷ついた子供(インナーチャイルド)が主導権をもち、暴れている
  • 恋人も兄も彼に「愛している」と言い、そのような行動をとっている(兄嫁も、ハチャメチャな義理の弟カップルに温かく接している)が、それを試すようなことをして破壊する

程度の差はあるかもしれませんが、私たちの内面には、このような「私」も潜んでいます。

弟の恋人も、かなり常識からはズレたところに生きている女性でしたが、妊娠を機に、当たり前の母へと変化していきます(子どもへの愛にあふれた、強い女性になっていく)。一方で男性は、自分が妊娠して出産するわけではありませんので、父親になるとは言っても、女性ほどには本質的な変化が訪れません。

「自分だけを見つめて愛してくれていた女」が「生まれてくる子どもを大切に考える母の顔」を見せた一瞬、弟は冷血な男へと豹変し、出産を控えた恋人を虐げます。余談ですが、恋人役はパトリシア・アークエットで、彼女の実際の出産シーンが撮影されています(私生活での妊娠と出産に撮影時期を合わせたと思われる)。

さてエライ目に遭うのは、兄やその家族、恋人、彼(弟)に関わる人などです。弟は自分が幸せになることを許可できず、自分を痛めつけずにはおれないので、いつものパターンとして周囲に問題を起こしていきます。子どもかえりしたかのような幼稚で無邪気な振る舞いもします。大人になることができない人であることは確かです。

弟は、兄からも恋人からも愛されているのですが、その愛を正面から受け取ることをしませんし、できません。愛に対して破壊で応えます。

この映画を観て思うのは、愛を、幸せになることを受け取らない(受け取ることができない)人は、関わる人たちに報いることが難しいということです。

「受け取り下手」を自認する人は多数います。「受け取り下手」というのは、その当人にとっての問題(「受け取り下手って損よねえ」くらい)に過ぎないように思われがちですが、周囲の人たちに対する「破壊力」が相当なもの、ということを実感できる映画です。

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