いきすぎた国家アメリカにおける人間の良心と正義を描く-映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」

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2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件への関与を疑われ、米軍のグアンタナモ基地に収容され続けたモーリタニア人、モハメドゥ・ウルド・スラヒの手記を映画化した作品です(原題:The Mauritanian)。

[当時のアメリカ]

2001年当時の大統領はジョージ・W・ブッシュ(息子ブッシュのほう)。彼は「テロとの戦い」を宣言して国内支持率を上げます。そしてタリバン政権の打倒とアルカイダの壊滅に向けてアフガニスタンに侵攻(「不朽の自由作戦」)。指導者のオサマ・ビン・ラディンを捕らえるよう命じます。その後、イラク戦争などを経てブッシュ大統領の支持率は急降下。2009年にバラク・オバマに政権をバトンタッチします。

西アフリカの国、モーリタニアで、ある日、突然、モハメドゥ・ウルド・スラヒは捕らえられます。モーリタニアの正式名称は「モーリタニア・イスラム共和国」。したがってイスラム教信仰を基本としているのでしょうが、国としてはアメリカともアフガニスタンとも強い関わりはなさそうです。

あらすじ(途中まで)

2001年11月(9.11の2カ月後)、モーリタニアの結婚式から物語は始まります。モハメドゥはドイツから帰国して参列しています。そこに「話を聴きたいから同行するように」と現地警察が現れ、その要請に応じます。その後、彼はどこかに拘束されたまま足取りが途絶えます。

モハメドゥ弁護側の動き

2005年2月、ニューメキシコ州アルバカーキの人権派弁護士ナンシー・ホランダーのところへ、仲間を通じてモーリタニアの弁護士からの案件が持ち込まれます。行方知れずだったモハメドゥがキューバにあるグアンタナモ基地の収容所にいて、9.11事件の首謀者(アルカイダの戦闘員であり、協力者をリクルートする役割)と目されていることを聞かされます。

モハメドゥを不当に拘束していると判断した弁護士ナンシーは、彼の弁護に立ち上がります。アメリカ政府は9.11関与者として700名以上を拘束しながら、氏名と容疑を公表していませんでした。モハメドゥも、ただひたすらに勾留されているだけで起訴されることはなく、もちろん裁判も行われていません。仲間からは「無駄骨」と言われますが、ナンシーは無料奉仕案件として弁護活動をスタートします。後輩弁護士でフランス語のわかるテリー・ダンカンをサポート役に指名します。

モハメドゥはモーリタニアの家を出た後、ヨルダンとアフガニスタンを経由してグアンタナモ基地に収容され、この3年間というもの、一日18時間の尋問を受けているとのことでした。

彼の訴えのどこまでが真実なのか、ナンシーは判断を保留したうえで、焦点を「拘禁の不当性の証明」に当てるようテリーに指示します。

彼女たちの要請に応じる形で政府から閲覧が許された調査資料は、ほぼすべてが黒塗りにされており、弁護活動の役に立ちませんでした。

アメリカ軍部の動き

海兵隊検事のスチュアート・カウチ中佐は、拘禁中のモハメドゥを起訴するよう指示されます。戦犯法廷で裁く、というのがブッシュ大統領の命令だったからです。

モハメドゥについて「1988年に電気工学を学ぶためにドイツへ行った。2年後にアルカイダに加入してアフガニスタンで訓練を受けた。彼の親戚はオサマ・ビン・ラディンの神学指導者であり、ドイツの諜報機関の調査によればモハメドゥは彼に資金提供を行っていた。テロ戦闘員のリクルートも行った」と説明を受けるカウチ中佐。プライベートで親しかった人物をテロで失っていた怒りもあって、それらの裏付けになる証拠を求めて情熱的に動きます。

そして報告書には数々の矛盾と不備があることが明らかになり、モハメドゥを有罪にするために必要な機密に属するMFR(収容所での「尋問の際の記録用覚書き」)の入手に乗り出しますが、なかなかうまくいきません。

行われていた“特殊尋問”

“特殊尋問” とは極めて非人道的であり、心身を追い込む拷問に近い尋問です。作中では当時のラムズフェルド国防長官(2006年退任)が許可を出した、と言っています。ドナルド・ラムズフェルドは2021年に88歳で亡くなりました。

私は「人間は自分の行為から逃れることはできない」と思っている人間です。それに則れば、死後か来生か、既に過ぎ去った余生か、それらのどこかで彼は代償を払うことになっているでしょう。

“特殊尋問” の内容が物議を醸しださないようにMFRは秘匿され続けたのかもしれません。

さまざまな手立てを経て弁護士ナンシー、カウチ中佐ともにMRFの内容を知ることになります。

モハメドゥ・ウルド・スラヒ氏について

日本人的感覚からすると「普通の人」ではないように感じます。

アフリカの人ですから当然のことながら日本人とは文化的背景が異なりますが、絶望のなかにあっても大らかで根が明るくユーモアを忘れません。最終的に救われる人とは、こういう人なのかもしれないと思わせる何かをもっています。

バックグラウンドと個性

あくまでも映画が伝える限りにおいてです。

  • 父親はラクダ商人で旅をしていた。彼が9歳のときに死去
  • 成績が非常に優秀だったのでドイツ留学の奨学金を得る(ドイツでテロ戦闘員をリクルートした、という嫌疑で尋問される)
  • アルカイダの訓練を受けたことがある。本人いわく、アフガニスタンで共産主義者と戦うためであり、その後の活動には参加していない
  • 離婚歴があるらしい(子どもあり?)
  • 熱心なイスラム教徒
  • 性格は明るく前向き。獄中で英語を体得する

2009年12月14日の審理にて

全文は映画を観ていただくとして、こちらは部分的な引用です。

問題人物だと判断したら米国は許してくれない。やってもいない罪で責められ続けた。だが許そうと思う。許したい。アラビア語では “自由” と “許し” は同じ単語。だから拘束されていても自由になれる。心の平安を見つけたい。この場を導くのは恐怖ではなく、法だと信じている。だから何であれ、判決を受け入れる。

氏の証言

2010年3月22日、裁判勝訴の知らせがモハメドゥの元に届きます。しかしオバマ政権はさらに7年、彼を拘束しました。バラク・オバマは歴代大統領のなかでも特にロクなことをしなかった人物であると聞きますが、これもそのひとつかもしれません。

2016年にモハメドゥ・ウルド・スラヒ氏は釈放されてモーリタニアへ戻り、その後、結婚して息子がいるようです(最後に本人が登場しますが、やはり明るい人)。彼の冤罪や拷問に関わった人物や組織、国からの謝罪は一切ないとのこと。

国家というのは、いつの時代も、どこであっても暴力的な共同体。アメリカもそうだし、恐らく日本もそうでしょう。

演技陣について

モハメドゥ・ウルド・スラヒを演じたのはフランスの俳優タハール・ラヒム。人を引き込む存在感がありました。アルジェリア系でフランス生まれ。妻の女優レイラ・ベフティもアルジェリア系のフランス生まれ。

ナンシー・ホランダーを演じたのはジョディー・フォスター。実物のナンシーに近づくために白髪で老けメイクにしているのかなと思いました。フォスター自身も非常に聡明な人物と思われますが、理知的で判断力に優れた人権派弁護士役として、こちらも見事な存在感を示しています。

テリー・ダンカンを演じたのはシェイリーン・ウッドリー。女優であるとともに活動家のようです。実際に若手弁護士にいそうなタイプで自然な演技がよかったです。

スチュアート・カウチ中佐を演じたのはベネディクト・カンバーバッチ。安定の演技です。

[ロケ地]アメリカ(ニューヨーク、ワシントン)、南アフリカ(ケープタウン)、モーリタニア

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