これも以前観たことのあるドラマ(原題 “The Spy” )。スパイとしての人生を選択したエリ・コーエン(実在した人物の名はエリ・コーヘン)の生と死にまつわる不条理が興味深いドラマです。いくつもの危ない橋を渡るためドキドキハラハラする要素もたくさん盛り込まれています。
一般視聴者には好意的に評価されているドラマですが、一部、エリとシリアの関係について歴史的事実と異なる点があり、その点で批判を受けています。事実に着想を得たフィクションとして視聴したほうがよい面があります。
ドラマの舞台はイスラエル、スイス、アルゼンチン、シリアなど。ロケ地はハンガリー、モロッコ、イギリスなどであり、作中の地名とまるで一致していない点が意外です。内戦によりシリアでの撮影はできなかったとのこと。
このドラマで描かれているエリ・コーエンは、上から指示されていないことまでもアグレッシブに探って報告に上げる人物。もともとの資質と頑張りによりスパイとしての有能さを示し、イスラエルと敵対するシリアにおいて事業家として政財界や軍部とつながりを深め、重要なポジションを獲得していきます。そのプロセスや、そこで起きる数々の出来事が視聴者の関心を鷲づかみにします。
諜報活動に携わるモチベーションとは、①自分が職責を果たさねば国家や人民の安全が脅かされるという使命感、②高い身体能力や技能・知的能力を必要とする仕事であるため任務遂行を通じて自分の有能さを確認できる、③報酬や見返りが多大(?)、④スリルを味わうことが好き、⑤状況に対して仮説立案や分析を行い検証することが好き、といった辺りが考えられます。しかし何十年も続けられる仕事ではありません。
諜報もの(特に実話ベース)を観るたびに思います。心身共に危ない橋を渡って安らげない日々、配偶者や子どもたちと離れての生活、最愛の人が知りたがったとしても職務内容を話すことができないつらさが付きまとう、そんな仕事をあえて選択する人の気が知れません。ドラマのエリ・コーエンも1965年にシリアによって拘束される頃にはかなり疲弊しています。スパイの職務を辞して家族の待つイスラエルに帰ることを思案するようになっています。
本作主役のエリ・コーエンも、ドキュメンタリー映画「THE MOLE/ザ・モール」で北朝鮮に対して10年潜入捜査を行ったデンマーク一般市民のウルリクも、演じている人格や設定が自分の一部になってしまい、折り合いをつけるのにストレスを感じているようでした。
さて、モデルになっている「エリ・コーヘン」とは、こんな感じの人物です。
エリ・コーヘン(1924-1965)
1961年~1965年、シリアでスパイ活動を行う。シリアの政治や軍事の中枢部と親密な関係を結んでいたが、シリアの公安当局はスパイ行為を暴いてコーヘンを逮捕。1965年に首都ダマスカスにて絞首刑となる。彼が集めた情報は、第三次中東戦争(六日戦争)におけるイスラエルの勝利に大きく貢献したと言われている。
*ドラマの「エリ・コーエン」は妻ナディアに対して一途な愛を貫いた人物として描かれているが、本物の「エリ・コーヘン」には多数の愛人がおり、シリアでは自宅に要人を招いて乱交を含むパーティを行っていたという。しかし、それも諜報活動のひとつだったのかもしれない。
*映画「コードネーム エンジェル」でも、イスラエルのモサドのスパイとして情報提供を行うエジプト政府高官アシュラフ・マルワンが女性の誘惑を退けるシーンが複数出てくる。妻を一途に愛していたのは事実かもしれないが、どちらのケースも未亡人や遺族への配慮の可能性がある。「わざわざそういうシーンを挿入する=実はやましいところ(否定しようとしている事実)があった」と私は解釈する。
ドラマの後半にムハンマド・ビン・ラディンという、建設業で財を成したサウジアラビアの事業家が登場します。彼の幼い息子として「オサマ」と呼ばれる男の子が現れます。ひょっとして「アルカイーダ」のあの方でしょうか。あの方の父だとするとムハンマドは22回結婚、子どもは54人、オサマは17番目の子どもにあたるそうです。エリが諜報活動をしていた時期と「オサマ」君の当時の外見からの推定年齢は合致します。
刺身のツマのように用意されたネタなのか、エリと実際に接点があったのかは少し調べた範囲では分かりませんでした。ムハンマド氏は桁違いの大金持ちだったらしいので、事業家設定でシリアで地歩を固めつつあったエリと何がしかの接点があったとしても「え~、びっくり!」というほどのことではありません。
数年の活動の後、エリ・コーエンはスパイの罪によりシリアに捕らえられ死刑を宣告されます。イスラエルは恩赦を求める国際的なキャンペーンを展開。イスラエルの立場からは「職務でスパイ行為を行っていただけなので命まで取るのはどうなのか」となっても、シリアにしてみれば「お陰でこちらの被害は甚大だ。お前の都合で物事を変えられると思うなよ」と考えるのが自然です。エリだから、スパイだからではなく、制度としての死刑が問題だという人道的視点からのアプローチもありますが、国際社会の利害関係は複雑で価値観や制度も異なっていますので「死刑を撤回させること」は容易な道ではありません。
周囲の努力も空しく1965年に死刑は執行され、未亡人のナディアは今も夫の遺骸返還をシリアに求め続けているそうです。
人間が何か野望を抱くとき、そして有能であればあるほど、周囲の思惑に翻弄されて逃れられなくなることがある、死を前にして人生に「幸せだった」と感じる瞬間とはほんの些細な日常のひとコマなのかもしれません。
[ロケ地]モロッコ(フェズ/ラバト/サレ/ケニトラ)、ハンガリー(ブダペスト)、イギリス