ドラマ「スパルタカス」と俳優「アンディ・ホイットフィールド」

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こちらは2018年8~9月頃に書いた複数の投稿をまとめつつ、加筆したものです。

「スパルタカス」というドラマを知っていますか?

歴史スペクタクル、アドベンチャー、アクションの要素が詰まったエンターテイメント作品です。すごく面白いです。2018年当時はNetflixで観られたのですが、現在はメニューからなくなってしまいました。Amazonプライムビデオにはあるようです。登場人物がナチュラルなフル○ンで出てくるので結構驚きます(ただし全員ではありません。出さない契約になっている人もいると思われます)。

シーズン1のあらすじです。

トラキア人のスパルタカスは、ゲタイ人の討伐を誓うローマ軍と条約を交わし作戦に参加。しかしローマ軍の副将グラベルは自らの巧名心から作戦(条約の内容)を変更。それによりゲタイ人による報復が生まれる。襲撃の危険を感じたスパルタカスらは、グラベルに反旗を翻し故郷へ。そこで彼が見たものはゲダイ人によって廃墟と化した村だった。妻スーラはグラベルに捕らえられる。スパルタカスはローマへ奴隷として連行され、そこで剣闘士となり壮絶な戦いの日々に身を投じる

Wikipedia「スパルタカス(2010年のテレビドラマ)」より

シーズン1では、第3次奴隷戦争「スパルタカスの乱」の前までを描いています。世界史の授業で出てきましたね。

「スパルタカス」の時代においては、奴隷を剣闘士に仕立て、その死闘を眺めることが娯楽であり、エゴや劣情のエサとして、剣闘士以外の人間の命も都合よく軽く扱われていたようです。上流階級の腐敗ぶり、上流に入りたい人たちの狡猾さにも、それらを隠そうとしない正直な “なりふり構わなさ(下品さ)” があります。エゴ(私利私欲)や劣情を正直に極めていくと、こんな感じの社会や人間関係になるのだな、ということが伝わってきます。

「雨を降らせし者」が剣闘士スパルタカスの別名です。カプアの大地には長く雨が降らず、神に剣闘士の血を捧げることで雨乞いをしようとしました。切り裂いても突き刺しても死なない巨人剣闘士のテオコレス(”死の影”)を、スパルタカスが遂に倒したところで滝のように雨が降り出します。

支配者層も民衆も待ち望んでいた雨を降らせたことで、スパルタカスの名は以前にも増して知れ渡り、奴隷でありながらも特別扱いされるようになり、リーダーとしての頭角を現していきます。史実として雨を降らせたという記録があるのかどうかは知りませんが、ドラマではそういう設定になっています。

世の中には雨男(女)とか、晴れ男(女)とかと言われる人たちがいます。晴れて欲しいときには晴れ男(女)の存在がありがたく、雨を求める状況では雨男(女)の価値が高まります。どちらがいいかは人間都合で都度決まりますので「晴れ男(女)→〇」「雨男(女)→×」というわけでもありません。

それはともかく、ドラマ「スパルタカス」は大ヒットしました。こういった野蛮な時代の文化や価値観は今の時代と明らかに異なっており(もちろん類似している点もあります)、そういった異文化のバーチャル体験、大掛かりな舞台設定や壮大なストーリーにはドキドキワクワクします。

シーズン1でスパルタカスを演じたのが、アンディ・ホイットフィールド。作品が大ヒットして次作が待たれるなか、非ホジキンリンパ腫により18カ月の闘病の後、40歳でこの世を去りました。なお亡くなったのが2011年9月11日ということで「2011年(東日本大震災)」「9月11日(アメリカ同時多発テロ事件)」を思い起こします。

以前のNetflixには、アンディ・ホイットフィールドの闘病ドキュメント(”Be Here Now”「アンディはここにいる」)もあったのですが、こちらも現在はメニューにありません。

生活費を賄いきれなかった下積み時代を経て、ようやく主役の座を獲得して6年間の契約をもらい、作品(「スパルタカス」)は大ヒット。これで順風満帆と思われたところで悪性リンパ腫であることが判明し「スパルタカス」をシーズン1で降板。一旦寛解したものの再発。若くして亡くなりました。

この映像をどう見るかは人それぞれ、都度それぞれ。私が初見で感じたのは、ガンを宣告された当事者や家族による治癒や生存の可能性を賭けての選択が、おおよそ考え得るすべての要素を網羅していたということです。

妻は基本的には西洋医学、化学治療推し。しかし当事者のアンディは、化学治療を受けつつも「あらゆる可能性を探すべき」と代替医療の道も模索しました。生活拠点のオーストラリアでは瞑想やヨガのコーチから指導を受けたり、インドに出向いてアーユルヴェーダのトリートメントを受けたり、占星学で星を読んでもらったりしています。ニュージーランドまで鍼治療にも通いました。「アンディはここにいる」を観れば一目瞭然ですが、妻はバイタリティ溢れる力強い性質であり、その影響によるものか、アンディは「未来を信じる」「自分を信じる」「信じた通りに道ができる」的なポジティブシンキングの持ち主でもありました。しかし最終的にはどれも効果を上げることなく、ホスピスで家族に看取られます。

動画からは、助かる道を模索して一縷の希望を見出さんとする一方で、刻々と近づく死を前に静かな受け入れが進んでいく感じが伝わってきます。もちろん変えようのない未来に対し表現しようのない深い絶望があるのでしょうが、受け入れざるを得なくなった以上「ならば今できることは何か(”Be Here Now”)」を大切にしようと、気持ちを切り替える努力をしているふうに見えました。

人生とは、何かを追いかけ、何かを成し遂げ、何かに挫折し、視点を変えて未来に何かを見出そうとすることの繰り返しのように見えますが、その一連のループが導いていく地点は結局のところ「自分という存在の死を受け入れる準備」なのだと思いました。

人智によって変えられないもの、それが運命であり宿命。西洋医学、代替医療、占術、精神世界、潜在意識の書き換え、それらの及ばない世界が存在するということの前にひれ伏すときがやってきます。人間が逃れられないものをブッダは「生老病死」「一切皆苦」と表現しました。聖人であろうと凡愚であろうと死ぬんです、その多くは病気で。

このドキュメンタリーを通じてアンディの状態は一定していませんが、目の美しい、イイ顔つきの人だなあと感じました。

制作側はアンディの回復を待って次作の撮影を遅らせていましたが、彼の死去に伴いリアム・マッキンタイアを代役に立て「スパルタカスの乱」の前半・後半を描く「スパルタカスⅡ・Ⅲ」などを発表。リアムとしては、アンディの後任は荷が重かったかもしれません。しかし、さらに大きな歴史スペクタクルに仕上がっており、とても楽しめる作品になっていると思います。

[ロケ地]ニュージーランド

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