私の評価は今ひとつ。しかし世の中的には高い評価を得た作品で、2018年公開と新しくはないもののNetflixが配信するようになったので紹介します。映画の原題は “Leave No Trace”。1時間50分程度の作品なのでサクッと観られます。
同作について、過去にAmazonプライムビデオで公開されていた「アカーサ~僕たちの家」と似たテイストを感じています。
[似ているところ]
①一般社会に溶け込めない親と世の中から隔離されて育った子どもが主人公
②福祉制度で一家を保護しようとしても一般社会への帰属や順応を嫌がる親
③子どもは文明化した一般社会や家族以外の人たちに触れることで新たな刺激や快適さを得る。そして世の中との距離を縮めようとする
④親と子が一枚岩でなくなっていく
「足跡はかき消して」はピーター・ロックの小説「My Abandonment」が原作でアメリカが舞台。「アカーサ~僕たちの家」はルーマニアが舞台のドキュメンタリー。フィクションとドキュメンタリーという違いはありますが、後者のほうがいろんな点で社会問題や家族問題に迫っていました。
「アカーサ~僕たちの家」はメリハリの利いた作品でしたが、「足跡はかき消して」は叙情的な表現(事実や風景に対する客観的な描写)に加えて登場人物の心象を共有するタイプのもので淡々としています。その点で「ノマドランド」に似たものがあります。
「足跡はかき消して」では、イラク戦争でPTSDとなった父ウィルと彼のティーンエイジャーの娘トムが暮らす大自然が雄大(魅力を感じるかどうかは、かなり人それぞれ)。そしてトムは恐らく大人の多くが「こんな娘が欲しい」と思うタイプ。父親に対して従順で思いやりがあり、ほどよく父親を頼ったり慕ったりし、世のティーンエイジャーのように感情を爆発させることもなく、何か意見があれば静かに語り、PTSDの父親に寄り添って生きています。娘のほうが人として成熟しています。
シンプルで、なんてことのない物語のなかで、言葉以外の部分でも豊かな表現をみせるベン・フォスター(父ウィル役)とトーマサイン・マッケンジー(娘トム役)は高く評価できます。どちらかというと娘役のほうが素晴らしいです。
[あらすじ]
イラク戦争によるPTSDに苦しむウィルは娘のトムとオレゴン州の森の中で暮らしていた。
人目を避けていたにも関わらず、ある日、ウィルとトムの父娘は警察とパーク・レンジャーに発見され、福祉局の計らいにより森の近くの農場で暮らすことになる。
娘のトムは新しい生活に戸惑いつつも適応しようとする。一方、与えられた環境にしっくりこないものを感じていた父ウィルはトムを連れて姿を消すことを決める。彼らは森でのふたりの生活を再スタートしようとするが、ウィルの怪我によって頓挫する。
ウィルの足の怪我の治療のために父娘はRVパークに住む。トムはそこでの生活、人との出会いに不満はなかった。むしろ気に入っていた。しかし父ウィルは「ここで暮らすわけにはいかない」と言う。ウィルはRVパークを出る決心をし、トムを連れて森へと出発する。
父親が戦争によるPTSDに苦しんでいること、人間社会と関わることなく暮らしたいと思っていること対して有効な手立てをもつ人はいません。メンタルに問題を抱えていない人たちは「森の近くの農場ではダメなのか」「RVパークでの生活の何が不満なのか」と思うでしょうが、人里離れて森で暮らしたいウィルを押しとどめることはできません。想像するに、他者の思惑やお膳立てのなかで暮らすこと自体が苦痛なのでしょう。
子どもが不衛生で危険な生活環境にあること、学校へ行っていないことを問題視している気配は父にみられません(この辺りも「アカーサ~僕たちの家」の親と同じ)。アウトサイダーなので当然とも言えます。ウィルの場合、メンタルを病んでいるので娘の現状や将来について思いやるだけのゆとりがないようにも見えました。
「アカーサ~僕たちの家」では息子が親との価値観の違いに困惑し、それでも一般社会で先の見えない人生を生き抜いていかねばならないことに苦悩する姿を映しだしていました。「足跡はかき消して」では父と娘が互いの価値観の相違を受け入れます。父は娘から、娘は父から離れての自立生活を選択し、そのベースには互いへの思いやりと赦しがある点に美しさを感じる人もいるし「だから何?」と思う人もいる、そんな作品です。
本筋とはまったく関係ありませんが「ブレイキング・パッド」でスプージーの妻役だったデイル・ディッキーがRVパークで父娘を世話する人物(管理人?)として出演しています。