クライミングにおいて世界的偉業を次々と成し遂げながらも、世俗的な評価や知名度に関心がなく、ひたすらに自分と山に向かい続けたマーク・アンドレ・ルクレール。彼の25歳までの2年間を記録したドキュメンタリー映画です(原題:“THE ALPINIST”)。凝った演出は皆無で淡々と進行しますが、むしろそれが、この作品と彼の存在の稀有さを心に残します。
世界的クライマーであるアレックス・オノルドへのインタビューから映画は始まります。アレックス・オノルドといえばドキュメンタリー映画「フリーソロ」が有名。顔つき、表情、身振り、ものの言い方、見るからに華のある人です。メディア向きでプレゼンテーション力があります。
「尊敬する人を教えて」というインタビュアーにアレックスは言います。「カナダ人のマーク・アンドレ・ルクレールだ」「あまり知られていないが、あるゆる種類の単独登山に挑んでいる。世界でも難易度の高い山肌や斜面を次々と登るんだ。誰も攻略していない難しい絶壁を。クレイジーなんだ」「気の向くままにひとりで登る純粋なスタイルだ」と。
まったくの無名だった23歳のクライマー
世界のクライマーたちが難易度の高い岩や氷の壁の登攀を成功させることで、クライミングはスポーツとしての市民権を獲得しました。有名クライマーたちはSNSでも人気で、多数のフォロワーがいます。
しかしカナダの23歳のクライマー、マーク・アンドレ・ルクレールは無名のまま。彼と彼の追い求める冒険の核心に迫ろうと、制作陣はカナダのクライミングの聖地スコーミッシュへ向かいます。取材やインタビューに慣れていないマークは来訪者たちを前に居心地の悪そうな素振りを見せます。
着席して授業を受けることができないなど、学校のスタイルに馴染めなかったため、ホームスクールで学んだマーク。高校へは通学していたようですが、卒業後にスコーミッシュに移り住みました。
そこで彼を理解し全面的な愛を注ぐブレットとの同居をスタート。「すべてにおいて人と違っているところが大好きよ」とブレット。マークは一時期ドラッグに依存しており、彼女と登攀することでクライミングへの情熱を取り戻したそうです。
「彼は極限を味わったり、全身全霊で楽しんだりするのが好き。クライミングこそ本物だと彼は気付いたの」と彼女が言うように、一瞬一瞬に集中し、心と身体を一致させ、自然の反応に自分も呼応するクライミング、それらは極限であり、全身全霊のあり方です。
クライマーとしてスポンサーが付き、映画も制作され、順風満帆に見えたマークですが、次に予定していた撮影の前に姿を消します。
彼とともにいた恋人のブレットは「彼は労力と時間を使って自分の活躍を世に示す気がない。その暇があるなら登りたいのよ」と言っています。価値基準が俗人と異なり、かつ一貫しています。
単独登攀へのこだわりと独自のルール
マークは単独登攀(ひとりでクライミングを行うこと)でのフリーソロを好みました。
①通信機器を持たない、②オンサイトで登る、というのが彼自身が定めた単独登攀のルール。通信機器を持たないので非常事態発生時に誰かと連絡を取ることができません。オンサイトとは「下見をしない。リハーサルをしない。その場で対応して登る」という意味だそうです。
難易度の高いことをしようとするとき、非常時に備えて携帯電話や無線をもつ、下見をしてプランを練る等、“リスク” を考慮して事前に対策を施すのが一般的と思います。彼はそれらを一切しません。極限を自分に課します。アレックス・オノルドが言ったように「クレイジー」なのです。
「単独の定義」「初の体験」についても強いこだわりをもっていました。
ロブソン山(カナディアンロッキーに属する山)の難攻不落のエンペラーフェイスをフリーソロで単独初登攀するという快挙をマークは成し遂げました。映画の撮影中でありながら、彼は制作陣に一切の情報を提供しませんでした。
理由を尋ねると「映画の撮影は許可したけれど、単独初挑戦の同行は許していない。誰かがいたら単独にならない。人がいると全然違うものになる。見ているだけでもだ。それは僕が求める冒険とはまったく違う。完全にひとりでやりたいんだ」と答えました。“体験” と “出会うこと” の神髄を深いところで理解しているように見えます。
アレックス・オノルドも「自分はスポーツとしてクライミングを行うが、彼はスピリチュアルなレベルでの冒険を楽しんでいる」と語っていましたが、真にスピリチュアルな人とは、マークのような人を言うのではないでしょうか。
アウトドア・ドキュメンタリーの第一人者である制作陣は「岩壁をスイスイ登る美しい姿を見ると、この愚鈍で素朴な青年が芸を極めた匠とわかる」と語っています。
カナダのアルバータ州キャンモアで、凍った滝をフリーソロでアイスクライミングする姿は鳥肌ものです。氷と化した滝など、いつ折れるか、いつ溶けるかわかったものではありません。かなりの高所の氷を命綱なしで登るのです。
パタゴニアのトーレ・エガー冬季単独登頂に成功
登山家の憧れの的、アルゼンチンのパタゴニアは冬季、非常に難易度の高い気象状況になります。激しい吹雪、雪崩も起き、アメリカ大陸の最難関とも言われるそうです。
マークは冬季単独登頂にチャレンジ。先に書いたように「誰かがいたら単独にならない」というのが彼の価値観なので撮影隊の同行を拒否します。ただし仲間のクライマーが途中までカメラマンとして同行することについては許可しました。その後はマークに装着したカメラでの撮影となります。
やはり天候が悪く、数回野営をしたものの頂上を目前に吹雪に見舞われたため引き返すことになります。命拾いしたマークはそのままカナダへ帰ると周囲は思いました。しかし彼は諦めていませんでした。
後日、天候のよさそうな隙を狙って再アタック。前回と異なり、テント・寝袋・予備の食糧を持たず、日帰りの計画で臨みます。夜に登山を開始、次の吹雪が来る前に頂上に到達して下山する予定でした。そして登頂に成功します。
山で挑戦をすると人生の表面的なものがどうでもよくなる。より深い次元で自分を見出せる。達成したこと自体が人生を変えるわけじゃない。そこに到達するまでの旅が心に残る。思い出や経験として心に刻まれる。それが一番の収穫だ
マーク・アンドレ・ルクレール
高校時代の映像を見ると明らかにテンションが高くて多動。「これでは先生にとっても同級生にとっても、扱いにくくて大変だろう」というタイプの男の子だったマーク。しかしパタゴニアの宿泊施設の主は「とても謙虚。前向きで穏やか」と言っていて、山での体験、恋人との関係性などが彼に与えた影響の大きさが推察されます。
「最後に食べておきたいものを食べるべきだ」
死を恐れることは、人間に付与された機能の一部と思います。普通の人には命を守るためのリミッターが付いているものです。
作品内で著名な登山家やベテランクライマーが、単独登攀で難易度の高い山や岩壁、氷壁に挑戦し続けるマークを称賛する一方で、命を顧みない攻めの姿を心配していました。当人の血のにじむような訓練や努力あっての登頂・完登ですが、奇跡とは何度も起きるものではないからです。
アイスアックスとアイゼンだけ。ハイレベルの単独登攀は過酷な状況における生還というアートだ。一流の単独登山家の半数が山で命を落としている。根源的な問題だ。死の危険がないならば達成の意味がなくなる。子どもの遊びだ。冒険でもアートでもない
8000メートル峰14座の登頂を成し遂げた登山家ラインホルト・メスナー
映画の中で「山ではどんなものを食べるのか?」という質問がありました。
「毎回、それが最後の食事になるかもしれない。だから好きな物を味わって食べる。最後に食べておきたいものを食べるべきだ」とマークは答えます。死への扉を常に意識する生。彼の場合、死と生がピッタリくっついて隣り合わせ、かつ間仕切りが限りなく薄いわけですが、彼のような認識を私たちはもっともったほうがいいと思います。瞬間、瞬間を丁寧に深く体験する人生、それこそが究極の生だと思います。
最高の登山は何も持たずに登ること。頼りは自分の登山能力だけ。たったひとりで山の大自然に浸る。草木のざわめきに耳を澄ませ、尾根を吹く風を感じ、山のオーラを味わう
マーク・アンドレ・ルクレール
20代の青年の語る言葉のひとつひとつが「禅」の境地から生まれているように思えてなりません。それは教えられたものではなく、体験を通して至った場所です。
“存在”は“遍在”に
2年の撮影を終えて編集作業を進めていた時期、制作陣のところへブレットから連絡が入ります。
マークはアラスカ州ジュノーへ。そこで地元のクライマー、ライアン・ジョンソンとともに、ロープを使ってのメンデンホール岩塔群北壁への初登攀を成し遂げました。その翌日、通信が途絶えたとブレットから聞き、家族やマークの友人たちはもちろんのこと、制作陣もジュノーへ向かいます。
「一緒に登った山にまた行くと、あちこちで彼を感じる」と語るブレット。それは具体的には山にマークが残したギア類を指していますが、彼のスピリットはあらゆるところに存在しているのだと思います。
マークはこの世界から次のステージへ行き、そこにいます。囚われた魂は、この世に対する執着の状況に留まりますが、人間の根源的な何かを克服して自由を得た魂は “遍在” します。あまねく “在る” のです。木にも水にも空にも。
山に登る人にも、そうでない人にも、ぜひ見ていただきたいドキュメンタリー映画です。