アフリカ系アメリカ人のエポックメイキングな裁判を描いた映画「マーシャル 法廷を変えた男」

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人種差別問題や公民権運動にはまるで詳しくないのですが、以前視聴したパウリ・マレーのドキュメンタリー映画からのつながりで、アフリカ系アメリカ人の弁護士サーグッド・マーシャル氏に関する作品を観ることにしました。評価が高かったにも関わらず、日本では劇場公開されなかったようです。

アメリカの人権に道筋を示したふたり。ドキュメンタリー映画「RBG 最強の85才」と「私の名はパウリ・マレー」
アメリカ最高裁判所判事に昇りつめたルース・・ベイダー・ギンズバーグ。彼女に影響を与えたマイノリティの弁護士パウリ・マレー。ふたりのドキュメンタリー映画を取り上げました。

パウリ・マレーが1910年、サーグッド・マーシャルが1908年の生まれなので、ふたりは同世代人と言えます。パウリ・マレーの知名度が低いのに対し、サーグッド・マーシャルは非常に有名です。後者は公民権運動に影響を与え、アフリカ系アメリカ人として初の合衆国最高裁判所判事となりました。

マーシャルが関わったケースのうち、1954年の “ブラウン対教育委員会” 裁判ではパウリの論点が使われていました。全米有色人地位向上協会(NAACP)の首席弁護人でもあった彼は、パウリの1950年の著書 “States’ Laws on Race and Color” を “公民権運動の聖書” と言っています。

サーグッド・マーシャルの略歴

  • 1908年 メリーランド州ボルチモアで誕生。祖父は黒人奴隷だった
  • 1930年 リンカーン大学を卒業。その後メリーランド大学ロースクールで学ぶことを希望したが、有色人種を理由に学校から受入れ拒否に遭ったため、ワシントンD.C.のハワード大学ロースクールに入学
  • 1933年 ハワード大学ロースクールを首席で卒業。法学学士の学位を授与される。ボルチモアで個人法律事務所を開業したが同胞のために働く時間のほうが長かった
  • 1934年 ボルチモアの全米黒人地位向上協会(NAACP:National Association for the Advancement of Colored People)で働き始める。少なくとも1941年まではNAACPにおける唯一の弁護士だった
  • 1941年 本作のテーマである “黒人男性による白人女性に対するレイプ事件(スペル事件)” の裁判に関わる
  • 上記裁判以降 NAACPの首席弁護人として連邦最高裁での32の公民権裁判のうち29で勝訴する
  • 1954年 ブラウン判決に勝訴。公立学校での人種分離が違法となる
  • 1967年 合衆国最高裁判所判事に就任(アフリカ系アメリカ人として初)

事件&物語のあらまし

コネチカット州グリニッジで、白人女性エレノア・ストルービングが使用人の黒人男性ジョゼフ・スペルにレイプされたと告発。ジョゼフは犯罪歴がありました。

NAACPブリッジポート支部で働くタッド・ランカスターを通じて地元のユダヤ人弁護士サム・フリードマンに協力要請を行い、マーシャルはジョゼフの弁護に当たろうと考えます。NAACPは人種差別により訴えられた無実の人の弁護を無償で行っていました。弁護士サムの主戦場は保険金訴訟であり “高嶺の花の白人女性と無学で乱暴者の黒人男性” という典型的な図式で世間を賑わせているスペル事件に関わることには乗り気ではありませんでした。

エレノアは「レイプされたうえに殺されかけた」と訴え、ジョゼフは「レイプしていない」と主張。一方、州外からやってきたNAACPの黒人弁護士マーシャルは、裁判長によって裁判で一切の発言を禁止されます。

メインで弁護を担当せざるを得なくなったサムは、ますます及び腰になります。しかし黒人差別の現状に対峙するうちに、ユダヤ人としての自分のアイデンティティのためにも戦わねばならないと思い直すようになります。ともに闘うふたりの弁護士はしばしば揉めますが、法廷で発言せずにサムに指示を与えるやり方でマーシャルは裁判に対処します。

黒人男性に不利な裁判で陪審員はどのような評決を下すのでしょうか。

感想・メモ

偉業を成し遂げる人は知性が高く、信念が強く、人間をよく知っている、という当たり前のことを再認識しました。人間を見る目は経験を通じて培われるものですが、マーシャルの場合、もって生まれた直観や洞察力も優れていたのでしょう。

報道を通じて大衆を味方につけるプレゼンテーション能力、的確な陪審員選びは世論と裁判の先行きに大きな影響を与えます。社会のムードや流れを察知しつつ、事件に直接/間接的に関わるすべての人たちに対して最適な戦術を採ることのできる弁護士こそが優秀です。NAACPの黒人弁護士マーシャルとしばしば対立する民事訴訟専門のサムも、マーシャルと組むことで弁護士として人間として一皮も二皮も剥けていきました。どんな人とどんなふうに関わるかが、その人の人生や生き様を大きく変えます。

サーグッド・マーシャルの人生を離れて言うと、彼を演じたチャドウィック・ボーズマンが42歳という若さで亡くなったという事実が印象に残ります。本作も大腸がんの手術・化学療法の合間に撮影したのだそうです。顔つきの系列がマイケル・B・ジョーダンと似ているような気がします。

鼻持ちならない白人検事ローレン・ウィリス役はダン・スティーブンス。「ダウントン・アビー」のマシュー役のときよりシャープな顔つきで嫌味な役を嫌味に演じています。

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