アンソニー・ドーア著 “All the Light We Cannot See” がベース。小説はフィクション部門でピューリッツァー賞に輝いています。私が視聴したのは単に「久しぶりにルイス・ホフマンを観たかったから」です。
私は原作の小説を読んでいません。それを前提に言いますと、いいお話だけれど現実離れした印象を持ちました。舞台となっている第二次世界大戦がもたらした数々の理不尽と犠牲は現実にあったこと。そのリアリティとのバランスが今ひとつかなと。ルイス・ホフマンはやはり素晴らしい演技をしていましたし、4エピソードで構成されたドラマの評価は高いので視聴して損はないでしょう。
導入部あらすじ
1944年8月、マリー=ロール・ルブランはナチス占領下のフランス、サン・マロでラジオの短波放送を続けています。それは①離れ離れになっている父親へメッセージを送る、②大叔父エティエンヌ・ルブランの指示により文学作品の一部を朗読する、③リスナーへ個人的な思いを伝える、などを目的としていました。
ドイツ兵ヴェルナー・ペニヒ伍長は無線監視部隊所属であり、違法なラジオ放送の追跡を任務としていました。孤児だったヴェルナーは無線の組み立てや操作における高い能力を見込まれ、精鋭に鍛え抜かれた後、サン・マロに送られました。日々味方が爆撃で死んでいくなか、彼はマリーの放送を聞いていました。ドイツ軍に対して正確な爆撃を行ってくる米軍。無線を通じて彼らに位置情報が流れていることをヴェルナーが隠しているのではないかと上官は疑います。
ドイツは敗色が濃くなり、サン・マロの人々は米軍による解放を待っています。ドイツ兵のヴェルナーはマリーや彼女の大叔父エティエンヌと出会い、ごく短時間をともに過ごします。
ドイツ兵ヴェルナーは子どもの頃、禁じられていた外国のラジオを孤児院でこっそり聞いていました。“教授” を名乗る人物がこの世の真理を語るプログラムが好きで、真実に触れるかけがえのないひとときと思っていました。周波数は13.10。マリーもまた子どもの頃に “教授” のラジオを聴いており「最も大切なのは見えない光。真っ暗闇でも心のなかには光がある」というメッセージに感銘を受けていたのでした。マリーの放送も短波13.10。そして彼女は盲目でした。
主要な登場人物
- マリー=ロール・ルブラン : 盲目の若いフランス女性。戦火のサン・マロにいる。使命感をもって短波13.10で放送を続けている
- ヴェルナー・ペニヒ : ドイツ軍兵士。エリートが集められる国家政治教育学校(ナポラ)を首席で卒業。無線監視部隊所属だが、彼以外はサン・マロで全員死んでしまう。孤児院で妹ユッタと育つ。子どもの頃から独学で無線を組み立て、電波を拾ってはフランスの “教授” の放送を聴いていた
- ダニエル・ルブラン : マリーの父。パリ自然史博物館で働いていた。ナチスによるパリ侵攻の際、博物館所蔵の宝石類をジュネーブへ送り、娘マリーとサン・マロへ逃げてきた。盲目の娘のために街の模型を作る
- エティエンヌ・ルブラン : マリーの大叔父。第一次世界大戦の元フランス軍兵士でPTSDを患っている。レジスタンスに関わっている
- ラインホルト・フォン・ルンペル : ドイツ軍兵士。マリーの父ダニエルが保管している貴重なダイヤモンド “炎の海” を奪おうとしている
- シュミット軍曹: ドイツ軍兵士。メンバーを失った無線監視部隊に転属してくるが経歴を偽っていた
- 博物館館長 : パリ自然史博物館の館長。ダニエル・ルブランの上司
演じている人たち
- マリー=ロール・ルブラン役 ⇒ アリア・ミア・ロベルティ(成長後)/ネル・サットン(子ども時代)。ふたりともアメリカ人で視覚障害をもっている。前者(アリア)は重度の遺伝性疾患による色覚異常とのことだが、視線の置き方等から盲目には見えない
- ヴェルナー・ペニヒ役 ⇒ ドイツの俳優ルイス・ホフマン。彼を見るのは「ダーク」以来。期待を裏切らない演技を見せてくれる。きれいな瞳と美しい涙の男
- ダニエル・ルブラン役 ⇒ アメリカの俳優マーク・ラファロ。出演作は省略
- エティエンヌ・ルブラン役 ⇒ イギリスの俳優ヒュー・ローリー。「ナイト・マネージャー」でリチャード・ローパー役だった人
- ラインホルト・フォン・ルンペル役 ⇒ ドイツの俳優ラース・アイディンガー。「バビロン・ベルリン」でアルフレッド・ニッセン役だった人
- シュミット軍曹役 ⇒ オーストリアの俳優フェリックス・カンメラー
- 博物館館長役 ⇒ ラシャン・ストーン。アメリカ生まれでイギリス育ち。「ブラック・ミラー」(人生の軌跡のすべて)などに出演
このドラマはフランス人をアメリカ人俳優とイギリス人俳優が演じ、ドイツ兵役を含む全員が英語でセリフを話すのが特徴。私は日本人なのであまり気にならないが、欧米人に違和感はないのだろうか?
視聴しての感想
真理は人々の心に残り、それは人と人との間に壁や境界線を作りません。目の前で起きること、視覚情報は人間の思考を混乱させますが、耳からやってくる音・言葉・声は人の心に深く染み込みます。
侵攻したナチス・ドイツ軍はフランスの人々にとって脅威であり排除したい敵でもありました。これまで会ったことがなく、味方同士でないドイツ人とフランス人が “教授” のラジオという共通体験で通じ合います。子どもの頃の体験、耳にした示唆に満ちた言葉は自分の内部に残っています。そのような体験が後年、平和や協調に向けたアクションの礎になることを感じさせる作品でした。
一方で冒頭でも述べた通り “いいお話” ではあるのですが、宝石に関するくだりは必要だったのかなと思いました。ナチスが戦利品として各地で貴金属や宝石類を収奪していたことは知られています。しかし “炎の海(ダイヤ)” にまで話が及ぶと、執着をもって探し回るラインホルト・フォン・ルンペル軍曹が「アタマのおかしな人」に見えてきます。ちなみに「“炎の海(ダイヤ)” に触れた人は呪われる。触れた人の愛する者が過酷な運命に苦しめられる。所有した人は永遠の命を得る」という云われがあるということでした。
物語の展開上、ヴェルナー伍長はドイツ兵という立場を放棄し、盲目のマリーを救う必要がありました。そのために用意された設定だったのではと思ってしまいます。ヴェルナー伍長はドイツ兵としての任務を躊躇なく放棄(最終的には殺されるか捕虜になるかの二択しかありません)。心の深いところにある羅針盤(見えない光)に忠実に従ったということでしょうが、そのベースにあったのは子ども時代の聴覚を通した体験と記憶だったのだろうと思います。
[ロケ地]フランス、ドイツ、ハンガリー