「ラーク」(RAAKH)とはヒンディー語で “灰”。誘拐殺人犯のひとりであるバブの「父親はおらず、母親は台所の火事で灰になった」というセリフと関係しているのかもしれません。
1978年のニューデリーで実際に起きた誘拐殺人事件を題材としています。
本ドラマの設定や筋書きは実際の事件をベースとして脚色が加えられていますが、インドというお国柄、社会の歪み、犯罪者と呼ばれる人たちについて考えさせられる内容でした。
導入部あらすじ
1978年、インド北部の都市デリー。
その日、16歳のスマンは国営ラジオ局の夜の番組エンディングで歌を披露するはずでした。しかしその夜、実際に歌ったのは彼女ではなくディーパ・ダンラジ。スマンの両親は「娘たちは収録に遅刻したのだろうか?」と訝しく思います。しかしスマン、そして彼女に同行した弟のサヒールは、ラジオ局に姿を現していませんでした。ラジオ局に向かう途上で消えたのです。
警察署ではジャイプラカーシュ警部補(JP)が、部下を相手に試験勉強をしていました。そこへ彼の父ガンシャム(リタイアした巡査)がマトンカレーを差し入れにやってきます。そのとき電話が鳴り、スマン&サヒール失踪の通報を受けた警部補らは捜査を開始します。
ラジオ局にほど近い森林地帯では豪雨のなか捜索が行われました。駐屯地近くで、赤いスクーターに子どもが乗る姿を見たという目撃証言もありました。
その後、森林地帯でスマンとサヒールの遺体、そしてクルマのミラーが発見されます。デリーに科捜研を創設した法医学者が、ミラーに緑の塗装が付着していることを確認。英雄的存在の軍の将校の娘と息子が殺害されたことの重みを考慮した警察上層部は、ジャイプラカーシュ(JP)を捜査主任から外し、経験豊富なチョウハン警部に引き継ぐことを決定します。
やりきれない気分のJPは遺体発見現場付近へと赴きます。そして乗り捨てられた緑の乗用車を発見。そこには血糊も残されていました。さらに、科捜研のバルア博士の助けにより、凶器と思われる剣に “チューランワーラー” の名前があることが判明します。
引き続き自分に姉弟誘拐殺人事件の捜査を担当させてほしい、と警視に頼み込むJP。とりあえず48時間の猶予を与えられた彼は独自に捜査を行っていきます。
捜査主任を外される予定のJPは、乗り捨てられた緑の車に残された有力な科学的エビデンスをバルア博士によって伝えられ、部下ジャベドを伴って病院へ赴きます。
姉弟誘拐殺人事件が起きる少し前のボンベイ。バブ&ラッジョは2年前にコンビを組んだ窃盗チームで、強盗以外にも車両荒らしや空き巣等をしていました。押しの強いバブがリーダーでラッジョは彼に従っていますが、バブが子ども(ジョニー)を誘拐したのをきっかけに彼らは新たな犯罪領域へと足を踏み入れます。バブとラッジョは内輪揉めと和解を繰り返し、バブが衝動に任せて少年ジョニーを殺した後、ボンベイからデリーへと向かいます。
デリーで、ラッジョはホテルのバーで扮装して歌う旧友ピヤーレに再会。ピヤーレは、①男色を好むバルー・ソーディ・チューランワーラーに苦しめられていること、②バルーが莫大な資産を相続していることを話します。喉から手が出るほどお金が欲しかったバブは、バルーが大金持ちと聞いて目の色を変えます。
登場人物
アローラ家の人たち
- スマン:16歳。ラジオ番組で歌を披露する予定だった
- サヒール:スマンの弟で14歳
- モナ:スマン&サヒールの母。子どもたちの通う学校で教師をしている。彼らの死を受け入れられない
- アショク:スマン&サヒールの父。軍の将校で1971年の戦争における英雄
- スラージ:アショクの甥。駐屯地に住むアローラ一家と同居している
警察関係者
デリー警察
- ジャイプラカーシュ・ジャタヴ(JP):警部補。昇進試験の準備をしている。姉弟誘拐殺人事件の主任捜査官だったが、被害者が重要人物の子どもたちであったため担当を外される。署にマトンカレーの差し入れにやってくる元巡査の父ガンシャムに手を焼いている
- ジャベド・ムルタザ:JPの部下にあたる警官。警部補補佐
- ダシュラタ・ミシュラ:定年間近の警官
- シン:ターバンを巻いた警官
- インドラニル・ハジュラ:警視
- ビスワジット・バルア:科学捜査研究所を指揮するコルカタの法医学者。デリーに国立科学捜査研究所を設置する
- マノージ:バルア博士の元で働く研修生
- ラジーヴ:バルア博士の助手
- チョウハン:JPから失踪殺害事件の捜査主任を引き継ぐことになったベテラン警部
- ケムチャンド・ラトール :巡査であるが、職務に対して怠慢なところのある男。怪しい2人の男について報告書にしなかった
- L・K・シン:警察長官
その他エリアの警察
- アロワット:ソニーパットでJPらに対応する警部補補佐
- ガジャナン・グプテ:ボンベイ警察の警部補
- ハワルダル・ラシッド・アンサリ :アグラ駅でバブ&ラッジョを目撃したアグラ警察署の警官
- ハリ・オム・ソランキ:アグラ警察署の警部
- ダンギ:アグラ警察署の巡査
怪しい男たち
- バブ(クマール・ビード)とラッジョ(ラジンダー・バトワル):2年前に組んだ窃盗コンビ。ボンベイで男から金銭を奪う。子ども(モリアスの息子のジョニー)を身代金目的で誘拐した後に殺害する。その後、デリーに移動
- ラジャ・ビカリ:スマン&サヒール失踪の件で、警察から疑われた男
- ビルジュ:子どもを誘拐して湾岸諸国で働かせているという評判の男(会話に名前が出てくるだけ)
- ジャスプリート・シン・バッガ:勤務している病院を出たところで姉弟を赤いスクーターに乗せた医師
- バルー・ソーディ・チューランワーラー:親の資産を相続した男色家。“チューランワーラー” は凶器となった剣にあった名前。父のモーハンラール・ソーディ・チューランワーラーはイギリス人相手の商売で富を築いた
その他
デリーの人たち
- ディーパ・ダンラジ:ラジオ番組でスマンの代わりに歌った少女
- ニサール・リズヴィ:“デイリー・ナマ紙” の報道記者。JPと親しい。マニーシャは情報源との仲介人(情報機関の人?)
- ラグナート・ヴェルマ:“デイリー・ナマ紙” 編集長
- サハイ:スマンの父アショクが雇った私立探偵
- ピヤーレ・モーハン・バトワル:ラッジョの同郷の友人。「マジンガーZ」の “あしゅら男爵” のように顔の半分を男性、もう半分を女性に扮した芸をデリーにある “ホテル・ファイブ・スター” のバーにて披露している歌手。金持ちのバルー・ソーディ・チューランワーラーを憎んでいることを知ったバブ&ラッジョによって悪だくみに巻き込まれる
- セーガル:犯人らしき2人組を診察した医師
- サリム:ニサールに対し、姉弟殺害の目撃を証言する男
- ダニラム:バルーの知り合い。妻子がいる
ボンベイの人たち
- シスター・ジェニー:“キング・チャールズ記念病院” の看護師
- ミーナ:バブの恋人。“キング・チャールズ記念病院” の看護師
- ジミー・ロボ:“Uncle Seb’s(セブおじさんの店)” の厨房で働いている。バブのボンベイ少年院時代の友人。婚約者はシモーヌ。新婚旅行はアグラを予定
- ディーナとフレディ:タクシードライバーを装ったバブに襲われる夫婦
ソーニーパットの人たち
- チャンダン:ラッジョの姉の夫。DV男
- ビンディ:ラッジョの姪
その他
- アンベードカル:不可触民出身の政治家で思想家。インド憲法の草案作成者。反カースト(不可触民改革)運動指導者で、差別排除に対して玉虫色のマハトマ・ガンジーには批判的だった
感想&メモ:インド社会の闇を映し出した作品
単なる実話ベースのサスペンスものかと思って視聴をスタート。中盤あたりからインド社会の闇深いところ、一度堕ちた地点から這い上がることの困難な人々の痛ましさにも焦点が当たり、観ているこちらまでが足を取られて沼に沈んでいくようで、気分が一気に重くなっていきました。
それでも視聴する意味や価値はあると思います。評価の高い作品でもあります。
題材となったチョプラ姉弟誘拐事件とは
1978年、ニューデリーで発生した誘拐殺人事件。クルジート・シン(ランガ)とジャスビル・シン(ビラ)による、ギータとサンジャイのチョプラ姉弟に対する犯行です。
身代金目的で誘拐したものの、父親(海軍大尉)が裕福でないと思い込んだ犯人たちは子どもたちを殺害。ランガとビラは当初、ギータをレイプしたことを認めていましたが後に証言を撤回、彼らの犯行を裏付ける法医学的根拠も見つかりませんでした(豪雨による腐敗のため)。ふたりは死刑判決を受けて1982年に絞首刑となりました。どちらの親族も遺体の引き取りを拒否したとのこと。
チョプラ姉弟(16歳と14歳)は誘拐犯に勇敢に立ち向かいました。姉弟を甘くみていた犯罪者たちは大怪我を負って病院へ行くこととなり、今ほどハイレベルかつ精緻なものでないにせよ、法医学的証拠を残すことにもなり、それが犯人逮捕につながった事例としても語り継がれています。
「RAAKH」では、豪雨のなかヒッチハイクをしていた姉弟が誘拐されて殺されたという設定になっていますが、実際はどうだったのでしょう?ランガとビラが身代金目的の誘拐を目論み、獲物を物色しながら街を彷徨っていたのは事実のようです。若い女性であってもヒッチハイクで移動することはさほど珍しくない社会であったみたいです(インドでそんなことをしたら非常に危険というイメージがありますけれどね)。
資産家の男色家バルー所有の剣が犯行に使用されたというのは、ドラマのみの設定と思われます。
獣化した人たちは“人間性”を回復できるのか
本作にてアローラ姉弟を誘拐するのはバブ&ラッジョという2人組で、片方は少年院帰り。例えば父親が暴力的だったとか、母親に愛されなかったとか不遇な成育歴/環境的要因が大いにありそうなのですが、器質的な問題も抱えていたんじゃないでしょうか。脳機能に特殊な回路をもつサイコパスであるとか、判断力に欠ける境界知能であるとかの要因も複合的に絡んでいたように感じました。
それでもラッジョには良心がまだ残っていて、バブの暴走を止めようとする場面がいくつもありました。しかしバブの高圧的な態度に従ってしまう気の小ささ、アタマの弱さが目立ちました。
バブは善悪の区別がつかず、酷いことをしても心が痛むことのない “共感性ゼロ” タイプ。抑制がきかず、自分の欲するものを得るために短期目線で衝動的に動いていました。「そういうことをしたら相手はどう感じるか/どういうことになるか」という視点、想像力があまりにも欠如していたのです。それでも「俺は赦しを乞う資格もない愚か者だ」と言っていたので、深いところに罪悪感はあったのでしょう(とはいえ、被害者意識が強いので反社会性の人格障害だと思う)。
記者ニサールの署名記事に「デリーは数年前まではニルガイやシカ、クジャクなどの住処だった。動物が消えても、人間に残る野蛮さはいまだに残っている。この先、デリーの街が再び人間性を取り戻し、互いを信じられる日がいつかくる、そんな世界に私たちは踏み出していく」というくだりがありました。
「人間に残る野蛮さはいまだに残っている」というより、私はむしろ「貧富の差、身分の差、教育の差、それらが長く維持されてきたことにより “人間性の残存する集団” と “獣性が強化されていった集団” というように、インド社会の分断が固定化したのでは」と感じました。
差別するつもりはないのですが、何を大切と感じるか、物事にどう対処するかは属する集団の影響を強く受けます。ある集団とそれとは別の集団の間の流動性が低ければ、各集団のもつ個性は強化/固定化されていきます。野蛮な集団は野蛮であり続け、しかも野蛮さを増していくのが自然ではないでしょうか。
“人間性” とはわかるようで、わからない言葉です。「視野を広くもち、選択肢を精査することができ、善を見極められること」「苦悩を経ても、世に豊かさをもたらす方向へと向かえる/向上心を維持できる性質」などを指すのかな、と思いました。俯瞰できるか、物事の背景にあるものまで察知できるか、その辺りが両者(“人間性” と “獣性”)を分け隔てているポイントのひとつかもしれません。
余計なことを付け加えると、何かの犯罪者(3~4人)を最後部座席に乗せた格子の入ったバスとすれ違ったことがあります(もちろん日本で、です)。彼らはバスの後方を眺めながらニタニタ笑っていたのですが、顔つき、放つオーラが人間のそれではなく、獣や人間ならぬ存在が憑いているとしか思えませんでした。“獣性” とは、似たような邪悪さを引き寄せる憑依現象の面をもっているんじゃないかと思います。
本作のバブ&ラッジョをみる限りでは “人間性” 回復の可能性ゼロと言わないまでも、あのレベルまで別の生き物になってしまっていると更生は極めて困難と感じました。あの段階から自らを立て直すより、生まれ変わることがあれば、いちからやり直したほうが早いのではないでしょうか(実話では死刑になっています)。
生きるにあたり“正の動機”を共有する父と子
警察側の主人公ジャイプラカーシュ・ジャタヴ(JP)とその父ガンシャム(元巡査)は姉弟誘拐殺人事件の犯人2人と対照的な人物として描かれています。
JPの母は早くに亡くなっていて、父ガンシャムが家事や息子の世話など、母親の役割も担っていたようです。雑な表現ですが、母親不在であっても息子はマトモに育つことを示しています。
夕食を家で摂らない息子のため、マトンカレーを署まで差し入れにやってくる「世話焼きオバサン」のような父をJPは疎ましく思っていました。それは大人の男性として健全な反応だと思います。全面的に理解しあっているとはいえない父と子でしたが、彼らの間には共有している啓発体験がありました。それが後に窮地に立ったJPを助け、彼と父との関係性に良好な変化をもたらします。
その啓発体験とは…。JPが幼かった頃、父ガンシャムに連れられて、不可触民出身の政治家で思想家、インド憲法の草案作成者のアンベードカルの演説を聞きにいきました。
その帰り道。「英雄とは?」という幼い息子の問いに対して「世の中にはたくさんの悪がある。貧困、差別、権利を侵害されること。英雄は考える力を使って悪と闘う勇気を奮い立たせる。自分だけじゃなく闘えない人のためにも。だから平凡な人間から英雄になれるんだ」と答える父ガンシャム。
「パパも英雄?」⇒「お前にとっての英雄であろうとしているよ」⇒「僕も英雄になりたい」⇒「なれるさ」。いいお父さんじゃないですか。しかも愛情たっぷり、最高のマトンカレーを作ってくれるんです。
チョウハン警部の指示とは無関係な捜査を勝手に行っていたことがバレて動きを封じられたJPが、アグラ署の警部たちに言い放ちます。
「時に我々は、誰かの英雄にならなくちゃいけない。理由や時期は我々次第だ」と。
父と息子の言葉が重なり、それぞれの血肉とひとつになったとき、ふたりの関係性に変化が生じます。
行為や動機に “適切な意味” を付与して正のストロークを与えられる親であることは、子どもの未来に大いに貢献すると感じました。
