何かを獲得してもなかなかハッピーになれない「ヴァイキング~海の覇者たち」

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「ヴァイキング~海の覇者たち」(原題 “La casa de papel” )は、かなりの部分を史実に沿って描いているとのことで、100%のファンタジーやフィクションではないようです。面白いドラマです。お茶の間にて家族で視聴するのには向きません。現在の国で言うと、およそデンマーク、スウェーデン、イギリス、フランス辺りを舞台としています。

北欧のヴァイキングは勇敢で残虐で強かったようです。敵の生首をたくさんぶら下げた船で強さをアピールし、海からやってきては各地で略奪を繰り返します。ざっくざくと人を殺し、人間を神への生贄にしたり、その血を飲んだり、自分の体に塗りたくったり、戦闘で自分たちも血まみれになったりで、現代人だったら変なものに感染して早々に死にそうですが、体の作りと意志のパワーが違うらしく頑丈で壮健です。女性戦士も多く出てきます。

シーズン4までの主人公はラグナル。「西には豊かな土地があるらしい」というのを信じ、首長が許可しなかったにも関わらず、夢を捨てられず、仲間と秘密裏に船を出すところから物語が始まります。

ラグナルはその後、いくつもの戦いを経て首長になり、王になるのですが、ヨーロッパ各地に船で出かけて行っては残虐な戦いや略奪を繰り返している割には、その目的と動機は「自分の民が耕地を持つことができるように(ラグナルたちは元々は農民で、略奪は副業だった)」「自分たちの神オーディン(北欧神話の主神)の意思を体現して喜ばせたい。ヴァルハラ(オーディンの宮殿で戦死者の館)へ行く資格を得たい」という、ごく限られた範囲においては無私で公益的なものでした。ヴァルハラに行くには勇敢で自分を捨てて神にすべてを捧げる必要があるようです(すなわちそれが、ヴァイキングが人生において重んずる価値観のひとつになっています)。

「西には豊かな土地があるらしい」と、確証はないけれど確信して出かけていった頃はラグナルもごく若く「あわよくば」の射幸心、わくわくする冒険心と無謀さ、「西から略奪して帰れば首長も自分の主張を認めるかもしれない」という自己実現&承認欲求あたりがベースにあったのではなかろうかと思います。しかしエゴや私欲だけで達成できるほど甘い冒険でもなく、彼らの心には常に自分たちの神があり、自分を神に捧げ、神からのサポートを祈り続けました。

そして攻めていった先には、キリスト教やイスラム教という別の神を信仰している人たちがいて、それらの信仰に基づいた世界観や価値観、社会を形成していました。

「人間は神の似姿」と言います。神が下位世界として、ある価値観に基づく構造をもった人間社会を作り出したとも言えるし、人間のマインドが自分たちにとって都合のよいように神の世界(ある種の投影)を作り出した、とも言えます。しかしそうであっても、そこには普遍的/超越的な真実や真理が少しは含まれているものだと思います。

ラグナルたちは名声、財宝、奴隷を得て物質的に豊かになっていきますが、争いはさらに争いを生み、病気にもなれば大怪我もし、幸せだった頃の家族が離散もし、そのドラマは当事者たちが死ぬまで終わりません(自分が死んでしまえば、自分にとってのドラマはそこで終わりです)。

人間は死ぬまで絶えず何かが欲しいのです。それは大きなもの、目立つもの、人が羨むものとは限らず、他者から見て、とるに足らないもの、下らないものであっても、常に何かを獲得して握りしめていたい。それらはエゴから生まれます。エゴとは「これが私だという感覚」のことです。

冷静に自分を観ていくと、いかに自分が事細かにいろんなことに執着し、記憶という儚い砂の城に何かをつなぎとめようとしているかに気づきます。さらに辿っていくと、それらは「これが私だという感覚(エゴ)」を維持することとつながっていることが分かります。

[ロケ地]アイルランド、カナダ、ノルウェー、モロッコ、アイスランド

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