映画「ベン・ハー」のおさらい~1959年版と2016年版の比較

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昨年秋、バンクーバーへ行ったとき、飛行機内で「ベン・ハー」(2016年版)を観ました。

恐らく私が観たものは、国際線の機内上映にはふさわしくない点を含んでいるということで、イエス・キリスト登場シーンをカットして前後の話をつないでいました。

「本当は、どんな話だったのだろう?」という関心が消えないのでBLU-RAY+DVDを買いました(日本ではビデオスルーになってしまったのです)。

「ベン・ハー」は過去に何回かリメイクされていて、有名なのは1959年版。ベン・ハー役が、故チャールトン・ヘストン(元・全米ライフル協会会長としても有名)、メッサラ役が、故スティーヴン・ボイド(後に45歳の若さで死去)。

原作の副題に「キリストの物語」とあるように、キリストの生誕、受難、復活が「ベン・ハー」の物語の大きな背景となっている。

(出典:Wikipedia「ベン・ハー(1959年の映画)」

2016年版はベン・ハー役が、ジャック・ヒューストン(リアルでもサラブレッドのおぼっちゃま)、メッサラ役がトビー・ケベル(育ちがジャック・ヒューストンとは対照的。こういった大河ドラマ的な作品では分かりにくいですが、演技派だと思います)。

ふたつの「ベン・ハー」に対する、私の印象&感想。

  • 1959年版 ⇒ 史劇/ベン・ハーとメッサラが「常人ではない」感に満ちている
  • 2016年版 ⇒ ヒューマンドラマ/主役と準主役が2人揃って190センチ近くという大柄でガタイも悪くないのに印象が軽く優男

2016年版がなぜヒューマンドラマになったかと言うと、観客目線での『共感』に軸足を置いたからだと思います。

ベン・ハーも、メッサラもひとりの人間としての苦悩を抱えていて、観客と同じ人間としての繊細さに焦点を当てて描写していくと「この人達も、いろいろと大変なんだな」という、視聴者の感想が同じ地平からのそれに帰着します。

史劇テイストの強かった1959年版のような『超人性』への畏怖の念が生まれてきません。精神にせよ肉体にせよ『常人を超えている』要素が明確でないと、貴族の長であったり軍人のなかでも功績を挙げたリーダー/ヒーローであったりしても、なんだか『普通の人々』に見えてしまいます。

その点で『超越的』であったところが1959年版の強みであったし、史劇とヒューマンドラマを分けた要因と感じます。

【1959年版の神演技】

・メッサラ(スティーヴン・ボイド)が戦車レースで大怪我を負い、息を引き取るまでのシーン

・ ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)に、イエス・キリストが水を差しだすシーンにおける、ローマ兵の表情(この短いシーンにしか出てこず、役者の名前は知らないが、驚きの上手さ)

【2016年版の好演技】

・エスター(ベン・ハーの妻)が、戦車レースを思いとどまるよう説得するシーンのメッサラ(トビ―・ケベル)

・戦車レースで勝利したベン・ハーに、観客席から駆け寄ろうとするジェスタス(ベン・ハーが命を助けた青年)

2016年版において「これってどうなの?」と思ったのが、戦車レースにおいてベン・ハーと組んだ族長イルデリム(モーガン・フリーマン)がベン・ハーの代理として、ベン・ハーの母と妹を隔離されていた洞窟から自由にして連れ帰るところ(1959年版では、ベン・ハー自ら業病の谷を探し回り、ふたりを連れて帰ろうとします)。

2016年版では、ベン・ハーが戦車レースで右ひざから下を失った宿敵メッサラと互いを赦し合い、その際「これ以上憎しみあいたくない。もうこれ以上戦えない。覚えているか、昔、俺が落馬して大けがをしたとき、お前がひとりで俺を運んでくれたことを。今度は俺がお前を運ぶ」と言います。その手前メッサラを運ぶことで忙しく、母と妹の救出にまで手が回らなかったのだろうか、という疑問が生まれました。

また2016年版ではキリスト(ロドリゴ・サントス)の顔を見せています(1959年版でも、キリストは登場しますが、どのシーンでも顔を一切写しません)。

恐らくリアルで会ったらロドリゴ・サントスは気絶するくらいに眩く美しい男性であろうと予想するのですが、この映画においては「普通のロン毛のオトコ」にしか見えず、少なくとも “神々しく” はないので顔を見せないほうが良かったのではないかと思います。

イエスの描き方についても2016年版では『共感』を心がけたという制作裏話がありましたが、『共感』以上のものがないと威厳・カリスマ感が出てきません。

人間からの『共感』を呼ぶ “神” という設定や発想が「正統派美男美女よりも、親しみのもてる隣にいそうなお兄さんお姉さんのほうが、人から愛され人気を集めるだろう」と予測するのと似ていて、そこも今時の感覚のように感じました。しかし『共感』などという軸を持たないところにいるのが、もっと言えば人間の『理解』を超えたところにいるのが、そもそもの “神” だと思います。

ヒューマンな貴族、ヒューマンな軍人、ヒューマンな神。2016年版は、やっぱりヒューマンドラマなのです。

1959年版について制作者が語ったところによると、エスター役のハイヤ・ハラリート(超絶美人)はイスラエルでの兵役を終えてから撮影に参加したとのことです。

[ロケ地]1959年版:イタリア、アメリカ、メキシコ 2016年版:イタリア、アメリカ

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