“生きづらさ”に共感する映画「ブロークバック・マウンテン」と「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」(1)

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「ブロークバック・マウンテン」は1963~1983年の20年にわたるアメリカ中西部のカウボーイたちの話(E・アニー・プルー原作)。カウボーイと言っても追うのは牛ではなく羊です。「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」は第二次世界大戦中のイギリス情報局で、誰も解くことができなかったドイツ軍の “エニグマ” から生成される暗号の解読に取り組んだ天才数学者アラン・チューリングの話(伝記に基づく)。どちらも有名な映画です。

「ブロークバック・マウンテン」は日本では2006年に公開。「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」は2015年公開。その間は約10年。前者はダイレクトに男性同士の惹かれ合いが主テーマで、後者は歴史的な偉業とそれを成し遂げた数学者のライフヒストリーがメインで、LGBTQの活動にも影響を与えています。

個人的には “LGBTQ” という切り口にあまり関心がなく、それが “男女間の愛” に代わったとしても関心希薄なのですが、背景にある “生きづらさ” については大いに共感しましたし、どちらも魅力あふれる映画だと思います。

長文になりましたので、ふたつに分けました。手っ取り早く「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」について読みたい方はコチラ(↓)へ。

“生きづらさ”に共感する映画「ブロークバック・マウンテン」と「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」(2)
今風に表現すると“LGBTQ”問題が含まれる映画。(2)は主に「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」について書きました。

【ブロークバック・マウンテン】これは“ゲイ”の物語なのだろうか

1963年、イニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)はワイオミング州のブロークバック・マウンテンで羊の放牧を行う季節労働者として、夏の間、働くことになります。イニスは初めての雇用で、ジャックは2年目。昨年、羊の25%を失ったことを踏まえ、ひとりが森林局指定の野営地に駐留し、もうひとりが獣に襲われぬよう羊が休息する場所に小型テントを張って見張ります(後者は違法のようです)。

ジャックは父親が小さな牧場を営んでいますが折り合いが悪く、イニスの親は事故で早くに亡くなり、彼は兄と姉に育てられました。ふたりは大自然の豊かさと脅威のなかで、日々重労働を重ねます。夜、羊の番をしながら下方に目をやると野営地の相棒の灯りが見えます。

ジャックは自分の気持ちや欲求に正直で積極的、表現がストレートであるのに対し、イニスは抑制的で我慢強く、殻からなかなか出ようとしません。ある夜、共に過ごすこととなり、ふたりは一線を超えます。互いにゲイであることを否定しますが、内気なイニスも、ジャックにはオープンに自分を表現でき、そのままの顔を見せるようになっていきます。

季節労働者として雇われた “ふたりともがゲイ” ということがあるのか、“ふたりでひと夏過ごす” という時限的な非日常であることが、ブロークバック・マウンテンでの体験を “価値ある特別なもの” に押し上げているのではないか、という素朴な疑問が私の内部に浮かび上がります。

自分に置き換えてみると、ひと夏、山で働いて暮らすとしたら、それは良いものであっても悪いものであっても特別な体験になるであろうし、一緒に過ごすのが気の合う人ならば、今後の人生のかけがえのない友だちになるだろうと思うからです。

ジャックの挙動には “ゲイ的” なものを感じますが、イニスは微妙な感じがします。ふたりとも、ひと夏の仕事を終えた後、女性と結婚して子どもをもうけています。イニスは、最初の妻と離婚した後の恋人は女性です。ジャックは相思相愛でありながらも、思うように振り向いてくれないイニスに業を煮やしてほかの男性を求めますが、イニスにはそういう様子がありません。

親が早く死に、貧しく居場所がなかった青年イニスの満たされない、幼いままの部分を解き放ったのが誰であったか、そこが重要だと思います。

イニスの同性愛者としての質を引き出したのはジャック。そしてイニスの頑な心を自由にして受け入れたのもジャック。イニスは亡き父への恐れがあったため、男性に抱擁され、全面的に愛されるという体験を欲していたのではないでしょうか。そしてジャックとの “ひと夏の特別な体験” が先で、妻との結婚生活(男としての義務と役割を負った、変わり映えしない日々)が後という、体験の “インパクト” と “順序” も関係しているように感じます。ジャックとは会えて年に数回ですから、共に過ごす時間の貴重さも彼のほうが勝ります(「会えない時間がなんとかかんとか」という歌、たくさんありますよね)。イニスは “ゲイ” なのかもしれませんが、男性を恋人にしたい人というよりは、成育歴で欠落していた貴重な何かを与えてくれた男性を愛したというふうに見えました。

【ブロークバック・マウンテン】“体裁”と“安全”を優先することで“手に入らないものの輝き”と“切なさ”が増す

この当時のアメリカ、特に中西部は保守的な価値観による社会であり、同性愛者であることが明るみに出ると差別・偏見の目に晒されました。集団暴行を受け、殺される人もいたようです。

ひと夏の季節労働の後、イニスは婚約者と結婚。別々の生活になってからも積極的に探し出し、共に生きる人生を提案するのはジャックの側。イニスは古き伝統(女性と家庭をもち、コツコツ真面目に働いて子どもを育てる)から外れることができません。生きていくには “体裁” を整え、社会的に “安全” な道を行くことが必要で、そういう生活から逃れられないと考えています。イニスは社会常識や生活に追われる日々を理由に、ジャックの情熱的な思いを正面から受け止めようとはしません(怖くて受け止められないのでしょう)。

イニスは幼い頃に両親を失ったため、親の愛を十分に受けておらず、不器用であるがゆえオープンな自己表現が苦手であり “生きづらい” のですが、それゆえに傷つくことを恐れ、社会的に “安全であること” を優先します。“生きづらい” 感覚を置き去りにする、傷つくことを遠ざけようとする傾向は、イニスのみならず、今の私たちにも言えることです。

何度か選択の機会がありましたが、イニスは社会で当たり前とされる生活を捨てることができませんでした。ジャックの提案を受け入れていたら、別の人生があったのかもしれません。しかしそうしたところで、想像以上の苦難と後悔の日々になっていたのかもしれません。

20年もの断続的な交流ののち、ジャックが死んだことを知るイニス。ジャックの妻から、彼が「ブロークバック・マウンテンは最も好きな場所」と言っていたと聞きます。彼の遺品のなかに、かつてブロークバック・マウンテンで喧嘩した際に血のついた、イニスのシャツがありました。ジャックは、イニスとの1963年の夏を手放してはいなかったのです。

手に入れられなかったものは輝きを増します。一瞬手に入れてすり抜けていった大切なひとときを、究極で永遠の何かであると思います。イニスは多くの場合、ジャックに対して受身でしたが、遺品のシャツに「永遠に共にあること」を誓うことで、正面から受け止めることができなかった自らの過去の痛みを和らげようとしているようにも見えます。そういったもろもろを含めて “悲しさ” を感じる作品です。

イニス役のヒース・レジャー、ジャック役ジェイク・ギレンホールの演技が素晴らしく、ふたりのやるせない感じに揺さぶられることで、レビューでよく言われている “真実の愛” を描いた作品であるかのように見えてくるのですが、冷静に整理すると「自分自身を受け入れてくれるあり方が最もフィットして、最も満たされる関係をもたらしたのが男性(しかも特定の)だった」という物語に見えます。「ひょっとしたら、そういう関係性に含まれているのが “真実の愛” なのか?」とも思うのですが、悪気はなくとも偽装に使われた妻たちが気の毒で、ちょっとは報いて欲しい気持ちになります。

映画の最後に少ししか登場しませんが、ジャックの父親役ピーター・マクロビーの演技にも感嘆しました。こういう粗野で他者を簡単に信用しない、田舎のクソ爺っているよねと。またヒース・レジャーが本作公開の3年後、28歳でこの世を去ったことも印象に残ります。2005年の作品なので、今から16年前。ジェイク・ギレンホールを始めとして、出演者がみな若いです。

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