芸術的生とは世界を解釈し続けること-映画「笑う故郷」

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アルゼンチンに関しては深刻なテーマの映画ばかりを取り上げたので、コメディ映画ということで本作(原題:El ciudadano ilustre 英題:The Distinguished Citizen)を視聴してみたのですが…。お腹を抱えて「あっはっは」系の大笑いではなく、シニカルな笑いが多くなる作品。

ノーベル文学賞受賞作家の40年ぶりの帰郷

スウェーデン・アカデミー認定ノーベル文学賞を受賞した作家ダニエル・マントバーニ。長年スペインで暮らしていますが、出身はアルゼンチンのブエノスアイレス州にあるサラスという小さな街です。その故郷サラスを舞台とした彼の創作は高く評価されていました。

ダニエルはノーベル文学賞受賞を嬉しく思いつつも、権威によって価値を決められることは芸術家にとって好ましいことではなく、高評価を得たということは作家として頭打ちの段階に入ったようなものだという趣旨のスピーチを授賞式で行います。スウェーデン国王からメダルを授与されるというフォーマルな場において、ダニエルはノーネクタイでシャツのボタンを開けたまま。その姿は作家としての彼の姿勢を示すものでした。

そして5年が経過。ノーベル文学賞受賞者である彼は世界各国で表彰され、文化イベントやセレモニーの来賓として引っ張りだこ、講演・対談・サイン会のオファーも多数。そういう状況を好んではいませんでしたが、すっかり彼は世界にオーソライズされた文化人となっていました。

そんなとき故郷サラスから4日間の招待状を受け取ります。“名誉市民” として表彰したい、いろんな行事に参加して欲しいというのです。ダニエルは故郷を舞台とした作品を書き続けてきました。しかしサラスを離れて40年、一度たりとも帰郷したことがありませんでした。考えた挙句、招待を受けることにします。

次第に広がる故郷の人々との溝

世界的有名人がやってくるということで、サラスの人たちは沸き立ちます。田舎の街なりに、雑で垢抜けない、上品・知的とは言いがたい歓迎イベントを繰り広げます。エスタブリッシュメントが嫌いとは言っても文化的で上流の歓待に慣れているダニエルにとって、40年ぶりの故郷はある意味で異世界。

住民たちは、はじめこそダニエルの文学的世界や芸術談義に興味をもちますが、彼が滞在する4日のうちにどんどん脱落。田舎ゆえに、都会の人たちのようなスノッブな背伸びにも限界があるのです。その辺りは事前に予想がつきますが、田舎の忖度たっぷりの行事に付き合わされてダニエルも辟易していきます。

そしてスペインからやってきた世界的な有名人が、自分たちの期待に応えてくれないことを知ると怒りや恨みの感情を抱き、彼を非難するようになります。

地域や個人が勝手に抱く期待にいちいち応えるつもりのないダニエル。故郷サラスの人たちとの間に次第に溝が生まれ、嫉妬や羨望から彼への攻撃や嫌がらせが激しさを増します。みっともないことを分かっているので都会の人やインテリはそういう振る舞いをしませんが、田舎ゆえにあからさまです。

新作「名誉市民」をどう解釈するか

ダニエルはその後「名誉市民」というタイトルで新しい小説を発表します。

サラスへの帰郷を題材とした内容と思われます。新作発表記者会見の席で、小説の解釈は読者に委ねられている、真実とは有力な解釈に過ぎないとコメントするダニエル。

「空想と現実は違うのだから、自分にとって都合のよい故郷を維持したいのであれば帰郷などしないほうがよい」ことを伝える作品と解釈する人もいるでしょう。映画の仕立てはあたかもダニエルがサラスへ足を運んだかのようですが、実は彼の創作をビジュアル化したもので、帰郷などしていないのかもしれません。それもひとつの解釈です。

以下は私の解釈です。

  • “どこかの外国” の “なんとかイベント” のゲストに招聘され、貴重な贈り物をもらい、丁重に手厚くもてなされることも、“田舎町サラス” で好奇と嫉妬の目に晒されながら品位に欠ける雑な扱いを受けることも本質的には差がない。根底には互いの得る利益に対する期待がある
  • 特に芸術家はそのような世界に浸ることが似つかわしくない存在。職業芸術家でなくとも、芸術的に生きたいならば、日常に従属することは死を意味する。
  • 何がしかのグループや肩書に帰属しているという意識や実感自体が幻想。帰属したい気持ちはフラストレーションを生む。帰属したい/しているという幻想は “生の停滞” を意味する
  • それらを表現したのが「名誉市民(笑う故郷)」
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