矛盾を抱えた一騎打ち-ドキュメンタリー映画「トゥ・ザ・サミット 絶壁のレース」

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原題は “Duell am Abgrund” で直訳すると「限界の決闘」。世界的に実力を認められた登山家ウーリー・ステックとダニエル(ダニー)・アーノルドが登頂の最速記録を争います。ウーリーとダニー、どちらもスイス人です。

時系列でいうと最速の登山家で「スイスマシーン」と呼ばれたウーリーが先駆けで、ダニーは後進。やがてふたりは驚異的な記録を塗り替えるべくライバル関係となっていき、人々やファンの注目を惹きつけます。

通常、複数メンバーが組んで2日以上かけて登頂するような難易度の高い著名な山々を2時間台でソロ登攀するふたり(ロープ・安全装備なしが基本)。高低差ではなく直線距離と捉えると、長くない移動距離という印象を受けるかもしれません。しかし、にわかに思い立って達成できるようなことではありません(たくさんの登山家が命を落としています)。

アルプスの三大北壁はグランド・ジョラス(フランス)、マッタホルン(スイス)、アイガー(スイス)。北壁は南側よりも急峻で難易度が高いとされています。

先駆者ウーリー・ステックについて

[ウーリー・ステックの実績]

2008年 アイガー北壁ソロ 最速登頂記録2時間47分/グランド・ジョラス北壁ソロ 最速登頂記録2時間21分/ビオレドール賞受賞
2009年 マッターホルン北壁ソロ 最速登頂記録1時間56分
2013年 アンナプルナ南壁ソロ 最速登頂記録28時間 (※登頂を証明するものなし)
2014年 ビオレドール賞受賞
2015年 アイガー北壁ソロ 最速登頂記録更新2時間22分50秒。ダニーの記録を破る(※難所ヒンターシュトイサー・トラバースでローブを使用)

ウーリーは綿密でストイックな人であったようです。徹底的に目標に集中し、トレーニング計画を守り、専門の栄養士やスタッフを雇いました。自己認識としては「かなり臆病」であり「自分はやれると信じて登るしかない」と語っています。

周囲が彼について話す内容を聴く限りでは、頭がよかった感じがします。なぜならメディア対応を熱心に行ってお金を得ることで、プロ登山家として成功したからです。誰かマネジメントを担当する人を雇っていたかどうかまではわかりませんが、ウーリー自身がそれなりに敏くないと利用されるだけで終わると思うのです。「興味のない人にまで伝わる広報力が必要」と彼は述べています。

もうひとつは「時間は誰でも理解できる」という点に着目したこと。登山をしない人にその難易度を理解させるのは困難。しかし「速く登れる」という切り口ならば誰もが評価をしやすくなります。

後進のダニー・アーノルドについて

ダニー・アーノルドはウーリー・ステックより8歳年下。4歳のときに3階建ての自宅の屋根にひとりで登ったということですから、そもそもの素質が一般人と異なる感じがします。

私が中高年ということも理由かと思いますが、経験的に人間の才能とは先天的要素が支配する面が大きい気がします。後天的努力を否定しませんが、天賦の才能、定められた道のほうが人生を左右するのです。周囲の人たちを見ても、そう思います。

ダニーは機械部品加工の仕事をしながら山岳ガイドの見習いとなり、やがて一流の山岳ガイドとなります。ガイドをしながら登山家としての実績を積んでいきます。

[ダニー・アーノルドの実績]

2011年 アイガー北壁ソロ 最速登頂記録2時間28分。ウーリーの記録を破る(※難所のヒンターシュトイサー・トラバースで固定ローブを使用したとウーリーから非難される)
2015年 マッターホルン北壁ソロ。通常の登山では8~12時間かけるところを最速登頂記録1時間46分。ウーリーの記録を破る(※約150年前、最初に登った登山家と同じルートを辿った)
2018年 グランド・ジョラス北壁ソロ 最速登頂記録2時間4分。ウーリーの記録を破る(※この時点で三大北壁について記録を残したことになる)
2019年 ドロミテのチマグランデ北壁の550mを46分で単独登攀し、新記録を達成
2023年 サルビットの36の尾根すべてを単独かつ最速で登った最初の人となる(※これは映画ではカバーしていない)

一流登山家の抱える矛盾

先駆者ウーリーはメディアへ打って出ることで確固たる地位を築きました。彼の一部の実績に対して疑念を抱く人もいます。例えば2013年のアンナプルナ南壁ソロに関しての登頂記録がありません(カメラを紛失)。写真も映像も同行者もないので「本当に登頂したのか」と思う人も皆無ではありませんでした。2009年のガッシャーブルムII単独登頂やマカルーについての写真は公開されず、 プモリ(2001年と思われる)、シシャパンマ(2011年と思われる)についてもカメラの故障や不調で登頂の証拠となる記録がないそうです。

かつてウーリーとともにカリフォルニア州エル・キャピタンの “ノーズ” を登攀したアレックス・オノルドは「彼は一流の登山家だ。証拠など必要ない。知名度が上がれば難癖をつける人も増える」という趣旨のことを述べています。賢くてプレゼンテーション能力のあるアレックスが言うと、ムードに流されて納得してしまいそうです(アレックス・オノルドは比較的好きな人物です)。

ウーリーの場合、登山を売り物にすることでお金を得ようとしていたわけですから「登頂した」というのであればエビデンスが必要と思います。しかしウーリーは「それは重要じゃない」と言っていたそうです。そこに彼の内面の矛盾や誤魔化し(あるいは葛藤)があるように感じてしまうのですが、いかがでしょうか。

「登山はあくまでも個人的なイベント(僕を放っておいてください) ⇔ 自分の功績を人々に知ってもらいたい(かまってちゃん)」「自分の登山活動をお金に換えたい ⇔ 登山ビジネスから解放されたい」という、ふたつの相反する気持ちを抱えていて、それがときとして理解しがたい行動を生んでいたと私は考えます。

ストイックで計画に忠実な姿勢は、もともとの性格もあるでしょうが、内面のいろんな葛藤を抑え込むのに必要な態度であったとも解釈できます。

“引き際” を決めることの難しさ

ふたりの登山家は「山に登るのは自分のため」「個人的な冒険だ」と言います。登山には自分の限界に挑戦する面があり、その点でマゾヒスティックなものです。マゾヒスティックなものである以上、そして一流で注目を集める存在であるほど難しいのが、スピードを競う登山家としての “引き際(引退や方針転換)” の判断。

ウーリーによって更新されたアイガー北壁の記録を除き、ダニーは現時点ですべての大きな北壁において最速記録を保有しています。にも関わらず、調べた限りではダニーにビオレドール賞受賞歴はありません。ウーリーは二度受賞しています。なお、このビオレドール賞、日本の登山家たちも数年に一度の割合で受賞しています。

ダニーを知る人は「彼が気にしているのは、ウーリーの築いた地位に及んでいないことではないか」と述べています。達成できていない気がかりなことがあると “引退” という言葉が頭をよぎっても、今までの軌道から外れることが難しくなります。

老いれば怪我や事故も増えるでしょうし、体力面でも記録を更新することが困難になっていきます。若さと意欲にあふれた、さらに後進の人材が競争のフィールドに登場することでしょう。

ウーリーは2017年、ヒマラヤ(ネパール)のヌプツェでの滑落で41歳で命を落とします。最盛期だったらミスをすることがなかったような局面に対峙するにあたり、気力や体力が落ちていたのかもしれません。

チベットには「羊として1000年生きるより、虎として1日を生きよ」という格言があるそうです。一理も二理もある言葉と感じます。他者の人生を自分のモノサシで測ることはできませんね。

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