単なるプロモーションなのか、実際に話題になっているのか、ドラマ「三体」に関するネット記事をしばしば見かけます。私も一応視聴しましたが、今回はもろもろの疲労が溜まっていたときにゆったり観られた「モンタナ・ストーリー」(原題:MONTANA STORY)についてです。
登場人物は少なく、物語はシンプル、自然は雄大、時間はゆったり流れていきます。
あらすじ
父親のウェイドが昏睡、生命維持装置を付けた状態になります。彼には男性看護師エースが付き添っています。息子のカルは実家のある農場に戻ります。
家はモンタナ州の広大な大地にあり、父所有の農場には鶏たち、老いた馬のミスターTがいました。借金を抱えている父ウェイドの看護や介護の費用に充当すべく、カルは家財や車、不動産の処分を検討。25歳のミスターTの面倒をみる人がいないため、獣医によって老馬を安楽死させることにします。長くハウスキーパーだったヴァレンティナは新しい仕事を探しますが、望むような就労ができず経済的に困窮しそうです。
カルは、実家から7年前に姿を消した姉エリンをずっと捜していました。しかし見つけることができませんでした。父の危篤のタイミングで姉エリンと再会することなど予想していなかったカルでしたが、不意に彼女が戻ってきます。エリンは父ウェイドの身の回りの世話をしていた女性ヴァレンティナを通じて、父が重篤な状態に陥ったことを知ったのでした。
弟カルは泊まっていくよう懇願しますが、姉エリンは昏睡状態の父に面会後、すぐに発とうとします。一旦は実家をあとにしたエリンでしたが、安楽死予定の老馬ミスターTのために舞い戻ります。
この一家には何か大きなわだかまりがあることが伝わってきます。閉じた過去について弟と姉が向き合う機会が訪れます。看護師エースは、昏睡状態で物言わぬ父親に戸惑い、7年ぶりの再会にギクシャクする姉弟を図らずもサポートする役回りになります。
はじめは視聴者にとって、いろいろ分からないままに物語が展開し、徐々に事の次第や登場人物の心中が紐解かれていくところが本作の醍醐味と感じます。
登場人物
カル:昏睡状態の父親のもとへ戻ってきた息子。本名は “カルヴィン” でエリンの異母弟。生母は “コニー” で交通事故により死去
エリン:昏睡状態の父親のもとへ戻ってきた娘。7年間、行方不明だった。カルの異母姉で生母リビーは出産後に死去
ウエイド:カルとエリンの父。姓は多分 “ソーン”。脳卒中により昏睡状態。借金を抱えている。かつては弁護士だった。先妻はリビー、後妻はコニー
エース:病院から派遣されている看護師。本名は “アピヨ・マ・カ・ニャディモ” 。家族はケニアのナイロビにいる
ヴァレンティナ:週3日、カルたちの父ウェイドの身の回りの世話をしている先住民族の女性
ジョーイ:ヴァレンティナの息子で先住民。しばしば手伝い等で現れる
ドン・ポーター:カルから父ウエイドの借金返済について相談を受ける。職業は恐らく弁護士
不動産エージェントの女性:査定のため、農場へやってくる
ムキ:エリンに中古車を売った先住民族の男性
深読みすると普遍性のある物語
表面的には極めてわかりやすい
非常にシンプルな内容と構成で
- 一家は父親の行為により過去に離散
- その父が昏睡状態になったことにより、子どもたちが実家で再会
- 家族の古傷について思いや感情、考えを吐露することにより和解のときが訪れる
- 父に延命措置を施している看護師が、子どもたちの心の傷や痛みを上手く引き出し、それらが癒される手助けをする(看護師がそうしようと思ったわけではなく、なぜかそういう流れになる)
- 問題の父は延命措置の器具を付けてこん睡状態のまま(最初から最後までベッドに横たわっているだけ)
という古今東西、どこにでもありそうなお話です。
アメリカの歴史や文化、地域性に詳しいと深読みできる
残念ながら私は歴史と地理に疎いのでエラそうなことは言えません。しかしいくつかの理由により、この映画はアメリカの “とある白人家庭” に限定した物語ではないように感じました。
- カルの一家以外のほとんどの登場人物がアメリカ社会によって迫害されたマイノリティ(先住民族、アフリカからの移民)
- 社会や共同体(家族から地域まで)の構造の歪みが不適切な権力をもたらし、強者が弱者を潰すという現実
- ちょっとした勇気をもてなかったがために、社会や共同体(家族から地域まで)に根強い不和と悔恨がもたらされるという普遍的なパターン
- エリンは実家の老馬ミスターTを安楽死から救おうとするが、農場の鶏を絞めて調理するし、職場は殺して解体した動物のすべてを調理することを売り文句にしたレストラン。“かけがえのない大切な命” と “殺すことに痛みを感じない命” を選り分ける人間のエゴを象徴している
舞台となったモンタナ州とはどんなところなのでしょう。調べてみると以下のようでした。
- 「モンタナ」とは「山が多い」というラテン語に由来する
- カナダ国境に接し、日本の国土とほぼ同じ広さをもつ。州には6つのカントリーがある
- 2つの国立公園、ロッキー山脈、7つの国立野生動物保護区などがあり、自然が非常に豊か
- 州の主要産業は農業、天然資源生産業、観光業、木材・製紙業 → 映画との関連でいうと昏睡状態の父ウエイドは、かつて天然資源生産業に関連した悪事を娘のエリンによって告発された
- 黒人とアジア人の居住者割合は全米のなかで特に低く、先住民族(ネイティブアメリカン)の占める割合が高め(とは言っても10パーセント未満)
- 州内には先住民族の居留地が7か所ある。12の部族が本拠地をモンタナとしている
- 白人勢力は先住民族の掃討を目論み、さまざまな分野で迫害・弾圧を行ってきた
- 農業に関する公債や援助の不当な拒絶など、先住民族は長く不利な状況にあった
まとめてみると、後からアメリカ大陸へやってきた征服者たちの行ったことは、お世辞にも褒められた内容ではありません。
多少の解説に目を通すと、作品のテーマは “家族のトラウマ” らしいのですが、単に「どうにもできなかった “家族のトラウマ” を父親が死に瀕したことをきっかけに昇華するヒーリングムービー」と捉えると、むしろ特筆するところのない作品に思えます(弟カルが、過去の自分と父ウェイドに対して落とし前をつける遠回しな描写は見どころのひとつですが)。
個人レベルでは仲がよかったり親しくしていたりしていても(例:カルやエリンと先住民族のジョーイは、子どもの頃は家族のように仲が良かった)、道理に合わない理不尽や暴力的な行為を見て見ぬ振りをするコミュニティならば(例:自分たちに都合がよいように白人が牛耳る社会)、メンバーは相互に分断されるという解釈で鑑賞すれば「ふむふむ」と何かと腑に落ちる映画です。
演技についていえば、エリン役のヘイリー・ルー・リチャードソン、カル役のオーエン・ティーグは素晴らしいですし、看護師エース役のギルバート・オウオールも抑えの利いた好演をみせています。
家族の生死が果たす役割とは
一般論で言えば、家族は子どもの誕生によって未来への希望を得ます。子どもが成長し、独立して自分の家族をもったり、疎遠になっていったりすれば、かつての “家族” のまとまりは失われていきます。誰かが死に直面するとき、かつての “家族” は “家族” として顔を合わせることになります。
子どもの誕生は家族の始まり、家族(特に親)の死は “旧家族” の終わりであると同時に “新家族” の始まり。本作では父ウェイドは昏睡状態で横たわっているだけです。しかし離散した家族を集め、彼らを変えるきっかけを作りました。そういった見えない流れを作り出せるのが家族であり、彼らの誕生や死なのだと思います。